今の頃になると夫の兄が存命の頃、茸を採って送ってくれた
その名の香茸(こうたけ)に相応しく
炊き込みご飯にすると香りがよく
また所謂茸とは違う、少し弾力のある触感がなんとも言えず
美味しくて、この頃になると届くのを楽しみにしていた
ただ、初めて届いて、初めて炊き込みご飯を作った時に
お釜を開けるとご飯の色が黒っぽくなって
正直、食べて大丈夫なのだろうかと疑ってしまったが
夫の言う、鴉舞茸という呼び名の意味は食べて初めて納得した
真っ黒になる舞茸のように美味しいキノコ
その後、お盆やお正月に夫の郷里に行くと、乾燥しておいた香茸を
そのまま刻んで炊き込みご飯にしてくれた
そのご飯に合うのが姑の作る、茸の味噌漬けで
この味噌漬けに使うお味噌は夫の実家で収穫した豆で作った完全な
自家製だからどれだけ私が頑張っても同じものは出来ないのだが、だからこそ一層懐かしい味でもあり
私が息子と娘を連れて新幹線で夫の実家に行くと
姑はその味噌を使って帰りの新幹線で食べるようにとお握りを作ってくれるのだが
当時五歳の息子は祖母に向かって
おばあちゃんのおにぎり、僕大好きなんだ、と、大層な褒め上手で
喜んだ姑は一層大きなお握りを作ってくれて
新幹線に乗ると、我が息子はすぐに駅弁を所望し
私は息子が大好きな大きな味噌にぎりを食べることになる訳で
帰宅して、夫にその話をすると
〇〇子さんは褒めるとどんどん大きなお握りを作って
しまいには顔くらいのを作り出すから、用心したほうがいい
とアドバイスをくれたけど
結局褒め上手な息子は再び,おばあちゃんのおにぎり大好きを言い出して
お陰で私は帰りの新幹線で駅弁を食べたことは一度もなく
挙句の果て、息子は姑の漬けた梅干しまで褒めだすから
帰りの荷物に瓶入りの梅干しが増えて行き
この褒め上手な息子はかなり年上の姑や私の母、私の伯母たちから
それはそれは可愛がられ、母は息子を連れて年に数回海外に行き
娘の卒業のお祝いにと、母と息子にイギリスとフランスに連れて行かせたら
肝心な息子はどちらの国でも一人で歩き
娘が母と観光をしていると、見知らぬ街角でばったり出会ったと
娘から半ば呆れた報告を受けた
母は海外で買い物をすると
何故か私の住所氏名を記入してくるようで
特に何度も行くイギリスや香港のお店からは
私宛にクリスマスカードが届いたりしてご近所の人達からは
私が常に海外旅行に行っていたということにされていた
私はこの経験から
他人の目ほど不確かなものは無いということを学んだ
義兄の採ってくる香茸を最後に食べたのは震災前の年に義妹の家に遊びに行ったとき
義妹と夫の実家に行くと、義兄が炊き込みご飯のおにぎりを作ってくれた
とても残念なことに
そのお握りを作るときにお塩とお砂糖を間違えて使ったようで
とても甘いおにぎりだったので
義妹に言って,義妹の家でチャーハンに作り直して美味しく頂いた
それ以降、避難準備区域になった義兄の家の野菜や果物は収穫できなくなり
霊山の虎捕神社で毎年買い足した柚子の木も雑木林の中に埋もれて
全ての植栽物は放射線計量器で濃度を確認しなければならなくなったとか
震災から一年が過ぎた頃、義妹が急逝し、そのことで記憶を失った夫を連れて
震災から三年目に義妹の家に行くと、夫の兄弟が四人集まっていた
夫は彼らを覚えているのか、曖昧だったようで、はにかんだ顔でその輪に入っていた
夫の兄弟四人、義妹の夫と息子、義弟の子ども達と私の娘と息子
兄弟が集まるだけでとても賑やかになり
夫の実家での空間を思い出していたその時次兄が
私に、〇〇〇ちゃん、キノコ食べた?と聞いてきた
いえ、未だもらっていませんけど、というと、大笑いしながら
あれはやめたほうがいい 放射線の機械当てたら、ガーって、と
長兄はそれを聞きながら、あの機械は何に当てても鳴るんだ
ニコニコ笑って応えていた
夫の長兄と次兄、義妹の夫はそれぞれにこの数年で相次いで
家の中の事故であっけなく逝ってしまった
今頃は、あんな機械のお陰で茸も採りに行けなかった
なんて、二人の兄と義妹夫婦が賑やかに話しているかもしれない
姑と、長兄と義兄の奥さんたちは、大変な思いをしたねと話し
舅は冷酒は飲みながらいつのものようにニヤニヤと笑っているんだろうな
どうもあっちのほうが賑やかになったみたいだ