この週末は天気も良く、行楽日和、洗濯日和だそうだけど
木枯らし一号が三年ぶりに吹くとか。
夫が入退院を繰り返した我が家では経費節減が不可避。
で、今年の冬はしまってあった湯湯婆(ゆたんぽ)とを使うことにした。
思い起こせば私が子どもの頃の暖房は湯湯婆と火鉢と行火(あんか)そして白金懐炉(かいろ)が主流で、火鉢の側には常に父がいて、懐炉は父が仕事に持参し、子ども達は寝るときの湯湯婆か行火くらいしか暖房器具は無かった。
当時、冬になると水道の管に布を巻くのは当たり前で、朝には玄関前や窓の外の軒に氷柱がさがっていたから、体感的に今より寒かったかも知れないが、子どもが昼間から暖房に当たることは禁じられていた。
手の甲や頬が寒風で皹(あかぎれ)になり、垂れた鼻水は袖の縁で拭いながら遊ぶ子どもは寒さに負けないよう超音波にも等しい賑やかな声を出すが、うるさいなどという大人はいなかったし、悪がる親に対して、子どもは風の子だから、という寛容な言葉があった
今は冷暖房完備のわりには公園で遊ぶ子どもの声さえ許容されないそうな。
子ども叱るな 来た道
と言ったのは永六輔さんだったか。