最近、アルツハイマー病の新薬が出来たというニュースを聞き
母たちの世代のことを思い出しました。
母や伯母は大正生まれです。
その世代の人は
自分が意識しない中で誰かに迷惑をかけることは堪えがたいと
ピンピンコロリを目指し、全国津々浦々の神社仏閣に詣でていました。
日本が開国したのが1863年
大正元年は1912年、開国から76年後です。
大正時代の人の親は鎖国時代に生きた人に育てられたわけで。
環境が急速に変化していく時代です。
ミルクホールが出来。モダニズムやデモクラシーなどカタカナの言葉が巷に溢れ
電車や電灯洋食、ラジオ、そして流行り歌に文学
人々は露西亜から欧羅巴へと世界への文明を求めて行き
その中で露西亜の大地から得たのが映画の知識です。
そしてその映画の『ネガ』が俳句の源流になります。
色の施されないネガ。
俳句は読み手によっていろんな色に変わる。
ネガだから目線が動いてはいけない。
母たちはスペイン風邪によるパンデミックも
関東大震災も、世界恐慌も生き延び
昭和になり、戦争のさ中に青春を送り、子育てをして
終戦とともに再び劇的な環境の変化を迫られます。
戦後、伯母は満員電車の中を長男を背負って東京の伯父の会社に手伝いに
行っていたのだけど、男性から無暗に押されてよろめいていたのを
一緒に行った母が下駄でその男性を蹴飛ばした、なんて話をする以外
戦争で苦しかったとか、辛かったとかそういう話をしたことが有りませんでした。
その二人姉妹の脳の劣化の予防についての持論が俳句を作ることでした。
俳句は右脳で閃いて左脳で整理する。
まんべんなく脳を使うことで劣化しない。
成程なあと思いました。
二人ともに90にあと数年迄認知症とは無縁で
母は毛糸で孫や子どもたちの分の帽子を編み
伯母は毎日この世で食べ残したものは無いかと確認し
二人ともに多くの俳句を遺し旅立っていきました。
コロナというパンデミックから始まった令和
環境に振り回されるのではなく、大正の時代の人たちのように
過去に経験のない新しい時代を楽しめるようになるのは
脳のために良いかもしれません。