団塊の世代と言われる約800万の中の一人の男が夢を見て、その夢を叶えたⅣ | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

第二次世界大戦が終わると戦後初の留学生である遠藤周作や黛敏郎

なだいなだなど多くの著名人がこの会社の船でフランスを目指します。

 

そしてまた多くの人が小説やブログなどに航海の様子を描いています。

 

コロナ禍で亡くなられた高田賢三さんもまた

1964年オリンピックの年の暮れに東京銀座の三愛に休職願いを出して

文化服装学院の小池千枝氏に進められた船旅を楽しむために乗船したカンボジア号の様子を

その題名も休暇願いとしたコラムとして

NIKKEIの私の履歴書というコーナーに紀行文を寄せています。

 

日本の戦後の海外旅行の発展史を見ると日本の戦後の船旅はいろいろな国からの

引上げ船からから始まります。

 

戦前は豪華客船として高松宮や人々をシアトルまで運び

戦時中病院船として航海していた

日本郵船の氷川丸もまた引上げ船として多くの邦人を運んだと公文書にあります。

 

この船は1961年にマリンタワーが出来た年から半世紀以上山下公園の岸壁に停泊していますが、

戦後しばらく国内を航行して

1953年ポツダム宣言により日本の権利が正式に回復すると日本とシアトル間を航行し

多くのフルブライト奨学生を運んだそうです。

 

フルブライト奨学生にはノーベル賞を受賞された方が何名もおられます。

往時の氷川丸については高橋茂という方が1978年に出版した氷川丸物語という書籍に詳しく書かれています。