ふとしたことから、今日、山下一海先生が数年前に亡くなられていたことを知りました。
この先生とはある俳句の同人誌の記念パーティの帰りに偶然お会いし、
その後何度かお話しする機会を
得て、数年、お手紙でご指導を受けていたことがあります。
その間、恵存とお書きになられた本を何冊も頂きました。もう10年以上前のことです。
今でも頂いたお手紙と一緒に大切にしまってあります。
先生とお会いしたとき、いつも軽い咳をされていらして、先生は喘息と仰ってましたが、
肺癌だったようです。私の記憶が正しければ、お煙草を嗜んでおられなかったように思いましたが。
その山下先生は、あれだけたくさん、季語についての書物をお出しになりながら、
俳句はあまり、と仰いました。人にはそれぞれ向き不向きがおありになると。
私は時期が来ましたら、この先生に一つの文章を書いて頂きたいと思っておりましたが、
残念ながら叶わぬ夢になってしまいました。
私の伯母は、亡くなる寸前まで、もう一度句会を開く、という希望を持っておりました。
大野林火氏の元で共に学んだ女性が一流と呼ばれる俳人になったことが、
伯母にとって、一番の癪の種だったようです。
けれど、伯母は俳句だけの人生を許されるほど安閑としたものではなく、
常に多くの人に心配りをしなければならない立場の人であり続けました。
最後には、姪である私にまで必要のない心配りをして下さいました。
その伯母が、もう一度開きたい、と夢見て叶わなかった、句会を開くには、私には力量などないので、
せめてネットの世界で、多くの方に、俳句に親しんでもらおうと、平成十五年にHPを作り、
俳句教室というものを始めました。
しかし、そのHPは特定の方しかみえないので、多くの方に知ってもらおうと、このブログを作りました。
ここ二年ほど、あの震災で、結婚したことで漸く出来た故郷、夫の郷里が放射能に曝されて、
心が塞いでおりましたが、せっかくそう思い立った場所を、いつまでもそのままにしていては、
意味のないことになりそうなので、以前HPで書いておりました俳句教室の内容を
再びこの場所に載せていこうと思い立ちました。
山下先生や、伯母の足元にも及ばない私ですけれど、ひとりでも多くの方が俳句に興味を持って下されば
幸いです。