ご近所の女性が、飛鳥に乗って旅に出たとき、デッキに梅干を干したというお話を、
ちょっとご自慢気に話してました。
梅干と言えば、我が家の娘は、崎陽軒のお弁当に入ってるのは勿論、曽我の梅林の梅干も
食べられないんですけど、夫の母が漬けた、鮮やかな紅色の小梅だけは好きです。
けど、この梅干は、もう、世界中どこを探してもありません。
母が亡くなったからでもあるけれど、小梅も、その梅の色を染める紫蘇も、あの、原発の放射能に染まった
林檎畑の角に植えられていたから、収穫出来ないんだそうです。
まあ、出来たとしても、夫の母が醸し出した梅の塩の、塩梅ってのが出せる人がいないんですから、
しょーがないですね。
昔、頑張って働く人を形容して、朝は朝星、夜は夜は夜星、昼は梅干いただいて、なんて言ってましたっけ。
そんな梅干の入ったお弁当は、黄色いアルマイトの平たいお弁当箱で
新聞紙でくるんであるってのが定番でした。
その中に入っているのは、麦の混じったご飯にメザシに沢庵、そして真ん中に梅干。
今の時代から見ると、なんと粗食だったのか、って思いますけど、
よーく考えると、メザシに沢庵に梅干、って、
夏の暑さのなかでは、
塩分補給のために、とても合理的でもあったと思えます。
それに、麦を混ぜることで、食物繊維を取ることも出来るわけで。
そ〜いえば、夫の母が作る物って、梅干もそうだったけど、お味噌も、茸の味噌漬けも、
笹餅も、なんでも美味しかったなあ。