土用とは、もともと、中国の黄河の周辺で生まれた農業暦の中にあり、
春夏秋冬の始まり、立春、立夏、立秋、立冬の前、
18日間のことを言うそうですけど、
今の時代というか、日本では、俳句の季語に代表されるように、
夏の、立秋直前の土用をいうのが一般的です。
土用とは、その字が著すように、土の動きがある時期、なんだそうですが、
土用と言えば、一般市民が思うのは、丑の日で、ウナギ。
で、土用の丑の日が何故うなぎを食べる日になったのか、というと、一説に平賀源内が宣伝したから、
なんてのがありますけど、大伴家持って人は、万葉時代に、
『いわまろにわれ物申す、夏痩せにはウナギがいいんだぞ、だから生け捕りにしてもってこい』
ってな歌を詠んでいるので、かなり古くから、滋養効果があるってのは知れ渡っていたのでありましょう。
因みに今年の土用の丑の日は、7月27日なんだそうですけれど、
巷間今年のうなぎはとっても高いとの噂ですからねぇ…。
昭和30年代の横浜の、山下橋の近くにも、鰻採りのおじいさんがいて、小さな手漕ぎ舟で、
新山下の釣り船店の少し前の海で採ってきて、家の前で捌いているのを、
飽かず眺めていたものでした。
そのおじいさんが、鰻を捌き終わると、肝を、当時病弱だった母にと、
お猪口に入れて持たせてくれるので、そのお使いに行くのですが、それはとっても嫌だったのに
いつの間にか、鰻を捌いているのを見るのが楽しみになっていたのです。
しまいには、渡辺という釣り船屋さんのおばあちゃんがくれるイソメを餌に釣り上げた鯊を
おじいさんのマネをして捌いて、家の前に干してみたりして。
その御陰なのか、今でも魚を捌くのは得意なんです。(⌒^⌒)b
ただ、おじいさんが釣った鰻も、私が捌いて干物にした鯊も、とんと食べた思い出がありません。
鰻に至っては、子どもが食べるような代物ではなかったのかもしれません。
そ~いえば、保土ヶ谷の伯母の家に行ったとき、御重をとってもらったときも、子どもは天重ね、
って言われたような。
夏の土用は、日も高く、梅干を干したり、
桐の箪笥や茶箱に入れた着物を、座敷に広げて、家中の玄関とか、窓とかを開けて、干す、
虫干しなどというものもありました。
母や姉の絵羽織や、色留袖や、襦袢や、帯や、鮮やかな模様が家の中に溢れて、
夢見る夢子ちゃんにとって、まさに夢の世界です。
土用には、梅干を干したり、着物を干したりするのはいいんですけど、
布団を干すと、太陽熱が布団に篭り、その布団で寝ると、すごくあったまって、大熱を出すそうですので、
小さい子どもたちのお母さんは気を付けてくださいね。
昼間は元気だったのに、お日様に当てたふかふか布団に寝かせたら、
急に熱を出した、ってそんな様子を、鬼の霍乱というそうです。霍乱とは日射病のことです。
夏の土用は暑い。なので、土用の入から、立秋の前日の節分までを暑中
その間に出す便りが暑中見舞いになるわけです。
ただいま、その暑中ですから、
皆様 暑中お見舞い申し上げます。です。