願い | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

I HAVE A PEN の時代ですから、英語で書いた文章は、それだけで、すごかった、のです。
 その流れで、宗教に依存していく人の気持ちを知りたいと思って、思うとすぐ実行したくなり、
 
信仰している高校の同級生たちに頼んで、潜り込んだのです。今思うと、かなり無謀なことでしたけど。
 
そこで得たものは、そのような宗教を信じる人は、自分の苦しい気持ちを誰かに理解してもらいたい、
ということでした。
 
実際は、自分以外の誰も、理解など出来ません。
 
たとえば、罪を犯したとして、どれだけ周りが罰しても、当の本人が許してしまえば、たとえ法的に
死刑になったとしても、本当の罰になりません。
 
逆だってそうです。周りの誰が認めてくれても、自分自身が許さない限り、罪悪感から解放されません。
 
また、どんなに苦しいことでも、自分自身が解決しない限り、前に進むことは出来ません。
 
全ては、自分自身が作り上げている世界なのです。
  
ですから、私は、教祖とかそういう存在がある宗教というものにたいして、 
闇雲に依存していく、というのは、よいことだとは思っていません。
 
 けれどです。
 
私は論文を書いた頃、英語を堪能に操り、文章だって書けて、いろんな外国人と日常会話を楽しんで、
ちょっとだけ純粋な恋愛だってしたんですけど、
 
何年か英語を使わない場所に暮らした後、数年ぶりに、その、純粋な恋愛相手がラジオ局の局長となって、
カナダからやってきたとき、嘘みたいに英語を話せなくなってました。
 
その上、お金を返すために、いろんなアルバイトをしたことだって、ほとんど忘れています。
 
息子や娘が生まれた日のことだって、
 お産なんて、男の人が経験すると、死ぬってくらい、苦しいことだったはずなのに、漠然と、
映画のワンシーンみたいに思い出すだけです。
 
けれど、M子さんのお母さんは、日数にすれば、一年足らずのことでありながら、
この手紙をM子さんに届けた年までの、
長い日々を平和な日本で暮らしながら、たった一行だって、あの頃の苦しみを忘れられずにいます。
 
そういう苦しみを和らげるためにあるのだとしたら、新興宗教があることも、
悪いことではないのかもしれないと思います。
 
ただ、そのような気持ちを利用した宗教により、教祖と名乗る人が、人を不幸の道に誘う、ということだけは、
決して許されないことというのに変わりはありませんが。
  
このお話は、また、たくさんの引き揚げ者の、ほんの一つの経験談にしか過ぎません。
 
私の夫の会社にやって来た人は、同様に満州から引き上げる途中、まだ、小学三年の兄と、未就学の妹と、
母親と一緒に、M子さんのお母さんと同じような難民生活を送る途中
 
母親が病気で死んでしまい、兄と妹とで、土を掘って、堅いところだと掘れないので、川の傍の柔らかいところに掘って、埋めて、そうして再び難民の群れに戻ると、一緒に歩く大人から、女の子である妹は中国人に
 
売ってしまえと言われ、男の子に見せるため、兄が落ちている石のかけらで、妹の髪を毟るようにそぎ取り、
男の子のふりをさせて、一緒に日本に戻った人がいます。
 
兄は、おでこに傷の残る妹と、一生二人で暮らすと、そう言っていました。
 
髪を、引きちぎられるように切られている妹は、泣き声を上げることもなかったそうです。
 
その上、この兄妹は、日本に上陸した後、あの、難民生活の中で、大人に背いたことを心に秘めて、
その場から逃げ出し、私の夫の会社に来たときは、無国籍状態でした。
 
当時、戦災孤児で、教会で大人になった人の伝で、いろいろな会社を渡り歩いていたそうですが、
我が社で、本人証明として保険証の提出を求めると、その後、連絡が途絶えました。
 
中国残留孤児も不幸であり、また、日本に帰国しても、日本にいても、
戦争により、皆不幸であったんだと、痛切に思います。
 
今の日本には、戦争なんか無くたって、帰りたくても、故郷に帰れない人がたくさんいます。
長い旅をしなくても、船になど乗らなくても、帰れるのにです。
 
 だから、せめてM子さんとお母さんには、世の中的にはどうであっても、心の拠になるその宗教を
信心しながら、この先、穏やかな一生を過ごして欲しいと願っています。