たった三歳で、いったいどんなに心細い時間を過ごしてきたのだろうと思うと、彼女の胸は張り裂けそうでした。
朝になると、物置の板をはがしてもらい、体すれすれの小箱を作り、そのまま、枯れたコスモスの畑に埋めました。
やがて十月になり、いよいよ暖房の心配をしなくては、ということで、近くの公園の木を根こそぎ切り倒し、使っていない部屋の壁も床も外し、たくさんの薪をつくりました。
その間も男の人たちは、中国人の世界で幾ばくかの仕事をし、幾ばくかの蓄えを得て、それを食べ物に換えて、日々を凌いでいました。
お互い、口には出さなくても、いつまでこんな生活が続くのだろうか、という、明日の日の見えない絶望感を持ちながら。
あるとき、男五人が、道路に転がっているドラム缶を転がしてきて、苦心惨憺して、ストーブを作ることが出来ました。
※長春の十月の気温は、2000年のもので、最高が12度、最低が1.9度です。
十一月になると、最高が1度台で、最低はマイナス7度を下回ります。
食料に支払う分を、石炭を買うお金に回し、そのために、コーリャンにわずかな米を塗したものを、大蒜をすりつぶして食べるという日々です。
そんななかでも、身重の彼女を気遣い、彼女だけに体によいものを、という、皆の思いやりで、彼女のおなかも日々に大きくなりました。
※コーリャンとは、中国で、白酒(ぱいちゅう)という蒸留酒を作る、泡粒のような細かい黍の一種です。日本では家畜が食べる飼料とされます。