
今日は彼岸の入り。
今の時期になると、母とその幼馴染と訪ねた、久里浜緑地公園のコスモスを思い出します。
コスモスは、その名の通り、COSMOS、宇宙のこと。
語源は、ギリシャ語の、秩序、飾り、美しい、という言葉から来ているそうです。
コスモスの花が、風に揺れながら群れて咲いているさまを、宇宙で輝く星に擬えたのでしょうか。
コスモスは、元々、メキシコのもので、日本に入って来たのは江戸時代のことで、花弁が桜に似ていることから
秋咲く桜として、秋桜(あきざくら)といわれていたそうです。
コスモスが観賞用の植物として広まったのは、1876年に、東京美術学校の講師として、イタリアから来た、
ラグーザという人物によってなのだそうです。
彼は、教え子の、後に日本人として初めての女流画家になった清原玉、本名、清原多代を見初め、
いろいろな贈り物をし、結局は妻として、お玉をイタリアに連れ帰ったそうですけど、恐らくは、コスモスの種で、
この花の由来でもある、ギリシャ語の、KOSMOSの解説でもされたのではなかろうかと思う私です。
コスモスといえばもう一つ、水上勉の、釈迦内柩唄、という小説を思い出します。
これは、火葬場の、遺体を焼く、所謂、隠亡(オンボ)の女性の半生を綴った作品。
この女性の父親は、焼いた遺骨の残りを、裏の草原に撒いて、そこに、コスモスの花を無数に咲かせる。
私は、後に、この作品を映画によって観たが、多くの葛藤を乗越えて父の跡を継いだ女性がその職業によって、
他人(ひと)から忌み嫌われ、蔑まれながらも、父が遺したコスモスを見ながら、人の顔がそれぞれに違うように、
コスモスもまた、一輪ずつ違う顔をしていると、「こいはお母はんがもしれねぇな」と、仕事の尊さというものを深く
感じていく。
釈迦内とは、秋田県の、花岡鉱山の近くに実在する地名なのだそうです。
彼岸 コスモス 宇宙 人は死して何処に向かうのか。
もしかすると、想い出という、残された人の心に向かうのかもしれない。
どれだけ多くの人の心に向かえるのかは、その人それぞれの生き方に拠るのだろうと思います。
コスモスは、俳句では秋の季語で、私の持っている歳時記には、
『「秋桜」は和名だが、
ダリア、チューリップなどと同じように、コスモスはコスモスがいい』と、飯田龍太によって書かれてあった。
しかし、嘗て師と仰いだ高浜虚子に反旗を翻した水原豊は、それには賛同しないだろうと思う。
何故なら、彼の俳号は、秋桜子なのだから。
コスモスの和名には、大ハルシャギクというものも有るけれど、こちらに関しては、イメージすら湧きません。
