大桟橋 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

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本名は、横浜港大桟橋国際客船ターミナル。
2002年12月にリニューアルオープンしました。

この桟橋が最初に出来たのが、1925年(大正14年)の今日、10月28日のこと。

このときの横浜市民は405,888名

今は300万人を悠に超えて、東京都に次ぐ人口の都市になっています。

山下公園から旧シルクホテルまで歩き、右に曲がる。

入り口にある、船乗りのための店。

その反対側に、海岸教会。

その教会で行われる日曜学校に通いました。

教会に入り、礼拝堂の冷やかな椅子に座り、今日のお話を聞き、カードを貰う。

カードには綺麗な絵と、聖書の一節が書かれています。

子供の頃は、その一節を読みながら、公孫樹の葉が散っていく山下公園の道を歩いて帰るのが好きでした。

高校生になり、ボランティア活動を終えて帰る午後三時過ぎのこの道は、日曜日であってもそれ程の人もなく、時には本を読みながら歩いたり、穏やかな秋の午後を楽しめる道でした。

時折、脇の屋台のお店から、小学校の同級生のお母さんが私の名を呼びとめ、何か食べていくか?と、声をかけてくることがありましたけど、それさえも、楽しいひと時でした。

このお母さん、というより、この屋台の人たちは、在日朝鮮、韓国の方たちだと、その友人のお母さんが教えてくれました。

市の配慮により、ここでお店を出すことを許されていたそうです。

その為か、お母さん達の言葉は、少し、発音が変わっていました。

私が本に夢中になって歩いて帰った次の週から、そのお母さんは、私に気がついても、声をかけなくなりました。

それで、私の方から声をかけると、おばさんが、声をかけるの、いやじゃないの?

直ぐに意味が判ったのです。

いつもは、とても大きく見えるおばさんだったが、自分の娘の同級生にさえ、一挙手一投足に心を砕くその人が、そのとき、とても小さく思えました。

遠慮して生きる。

大桟橋がリニューアルされた2002年、テレビの中で、日本の皆さんへ、とお礼を述べられた、拉致された方の、肩を丸めたその姿が、あの日のおばさんとダブって見えました。

一刻も早く、あの方達の望む、心の安息の地に辿り着けるといい。そう願ってから、今をもっても、まだ帰れない人々がいます。

子供の頃も、移民の人々を乗せた出港の船を見送りながら、目指して行ったその場所で、心の平和を得られると良いと思った大桟橋。

船に乗って旅立つ人と、見送る人の織り成す、幾千ものテープの、お別れの儀式が懐かしく思い出されます。

今日は、今にも出港の合図の警笛と銅鑼の音が聞こえて来そうな雨の横浜です。