ダダ | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

今日は、中原中也の亡くなった日。
中也忌。

40年前の女子高生達は、中也、そして、矢沢宰に惹かれていました。

早世された若者に、どこかニヒリズムを感じ、同化しようという乙女心があったのかも知れません。

横浜駅のダイヤモンド地下街に行き、フランソワ洋菓子店の包装紙を求めて、それを、文庫本のカバーにする。
その絵柄は、東郷青児の描く、優美な日本美人の世界。

いつもは、日に焼けて、健康そのものの友人も、彼等の詩の虜になっているときには、明日にでも労咳で死にそうなことを言う。

きっと彼女達の脳裏には、己が姿は青児の描く日本美人そのままだったのだと思います。

中学も、高校も、ボーっと空を眺めている、現実逃避型の私には測り知れない乙女の世界。
テストのたびに、字の書き方が汚いと、full markからマイナスしていく英語の先生がいました。

金曜日になると、土曜日は礼拝の為に、学校はお休み。

すると、その先生は不謹慎にも、教会に行く事をやめて、ご自身が授業を受け持っているもう一つの、近くの公立校の授業を見に来ないかという。

行く方も、行く方なのだが。
私の中で、中也や矢沢に憬れるのは、ミッションの女の子独特なものだと思っていたが、公立の高校の女生徒も、同様に彼らに憬れていると知って、少し驚きました。

しかし、彼女達の持つ本は、有隣堂の包装紙で、そして薄汚れて。

その本を見て、汚れちまった悲しみ を思いました。

よその制服を、それも、女子高の制服を着ていくわけに行かないので、紺のブレザーを着ている私は、彼らには、その先生の助手に見えたようでしたけど、しかし、それでも、私は、その学校にとっては、全くの異端者。

生徒の一人が、中也の本を見せて、ダダイズムというのを知っているか、と。

ダダ、フランス語で、木馬のこと。

私は、知りません、と。

知っていたのかいなかったのかは忘れたが、知っているか?という言葉が凄く嫌だったことだけを覚えています。

巳年の女は執念深いのです。

大理石の、磨き上げられた床に、整然と並ぶ机と、スチームの音と、礼拝堂と。

雑然とした机と、黒々とした木の板の床と、達磨ストーブと。

私自身も、何処かでしっかりと、東郷青児の世界に埋没していたのでした。

既成を相容れない、それがダダイズム。

理性を優位におく既成のあらゆる価値観を否定し、芸術の自由な発想と表現を目指した。

反合理主義・反道徳の態度を特色とする。

ダダイズムに奉じる人をダダイストという。

何故それをダダイズムというのか。

フランスのキャバレー・ヴォルテールで、詩人T・ツァラが、酒の余興に辞書に適当にナイフを刺したところ、フランス語で、木馬、スラブ語で、相槌、という言葉に突き当たったからと。

人間の自己主張の始まりなんて案外そんなものなのでしょう。

私を公立高校に連れて行って下さった恩師は、英作文を絶対に直訳しない私に、君は駄々っ子のように頑固だね、と、言っていた。

先生、あれは、友人に向って、Will you be home this Sunday ?「今度の日曜日に、あなたは家に居てくださるでしょうか?」などという言葉でお話したことが無かったからです、
と、今、告白している。

ダダイズムは詩人からやがて芸術家に波及し、シュルレアリスムとなっていきます。

そして、中也に夢見た少女達は、リアリズムを信奉する、心身ともに立派な、お母さん達になっていました。