南極観測船しらせ が、昭和基地に到着したら、
たくさんのペンギンがお出迎えにやってきたそうです。
しらせといえば、白瀬矗中尉
彼は十二歳のときに、北極探検隊(フランクリン)の話を聞き
北極探検に行きたいと思ったそうです。
そのためには、五つの戒めを守ることと、教えられ、生涯それを守ったそうです。
五つの戒めとは、
禁酒、禁煙、お茶断ち、お湯を飲まない、寒くても焚き火にあたらない
北極のほうは、彼が未踏のうちに、アメリカの隊が成功したので、
白瀬中尉は南極を目指したわけです。
万難を排してその南極の地に立った中尉は、その地を、大和雪原(やまとゆきはら)と
命名したそうです。
ところで、港南区の日野公園墓地には、何故か、この、白瀬中尉のお墓があります。
郷土史に詳しい方に聞いたところ、白瀬中尉がシドニーから横浜に帰港した際、港南区のお寺に
滞在したのが縁であった(というほどの理由)だそうです。
肝心の中尉は、探検から戻ってからは、たくさんの借金に苦しみ、辛い晩年を送ったとありました。
南極観測船しらせの しらせ は、実際には、六万通もの公募の中から選ばれたものだそうで、
昭和基地の近くの、白瀬氷河に因んでいるそうです。
なので、海上自衛隊では、名所旧跡の名に因んで、って言ってるそうですけど、
白瀬氷河ってこと自体、白瀬中尉の名前に因んでいると思うので、そのまま、
白瀬中尉の名に因んで、といえばいいと思うんですけどね。
因むといえば、因みに、観測船という名前は文部省の名称で、
海上自衛隊では 砕氷艦 としているそうです。