今日は、私に俳句の楽しさを教えてくれた伯母が亡くなった日です。
ストーブの音絶え間なく通夜の家
私はその伯母から直接俳句の手解きを受けたことはありません。
ですから、師弟というより、私淑 という言葉のほうが似合いそうです。
私淑とは、子は私(ひそか)にこれを人よりうけて淑(よし)とするなり
と、直接教えられてはいないけれど、その人を尊敬し、密かにその志を規範とすること
伯母が大野林火の許で俳句を学んでいた頃、私は幾度か吟行に同行したことがあります。
初めての吟行は、高一のとき、昇仙峡でした。
大きな岩盤を踏み締めて、滔々と流れる滝音を聴きながら、
伯母は只管に俳句を詠んでいました。
私はその場所で、一つの俳句を詠んで、それを高校生の俳句大会に出すと
松尾芭蕉の句に似ているということで、差し戻されたことを知りました。
高校時代の恩師から、松尾芭蕉を知っている?と言われ、ハイ、と答えると
『ほろほろと山吹散るや滝の音』この句は?と、聞かれました。
いいえ、と答えると、書庫に行って芭蕉の句を全て読んでみなさい。
これは出しませんけれど、大切に取っておきなさい。
恩師はそう言って、それで終わりました。
その後、氷点の作者が、病床で詠んだ歌と、全く同じ歌が応募されたことがあり、
そのことで疑われたことを悲しむより、自分と同じ感性の人がいることに
喜びを感じた、というコメントを読んで、
私は、ああそうか、私の感性は松尾芭蕉と同じなのか、と、不遜にも思ったものです。
俳句は、右脳と左脳を同時に使うので、脳が活性化され、所謂ボケ防止になる、と
伯母も母もそう話していましたが、事実、伯母も、母も、八十を過ぎて、
亡くなる寸前まで、とてもしっかりとしていました。
その伯母の、もう一度句会ができるかしら。もう一度吟行に行かれるかしら。
という声が、今でも鮮明に私の耳に残っています。
私は伯母の志を継いで、少しでも多くの人たちに俳句の楽しさを伝えられたらと
このブログを作った次第です。