
笊に盛られた青蜜柑が売られていました。
さんま さんま
そが上に
青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて (佐藤春夫=秋刀魚の歌)
なんて、心の中で口ずさみながら、
その蜜柑を一山と、秋刀魚を三尾買ってきました。
けど、結局、秋刀魚は三枚におろし、パプリカ入りのチーズをロールして
ローズマリー風味のオリーブオイル焼きってのにしたので、
青蜜柑の出番はなく。
佐藤春夫というと、今から40年ほど前に、文学散歩という、ちょっと長い散歩で
彼が住んでいた、緑区鉄町の家を見に行ったことがあります。
当時は、横浜線で中山まで行き、そこから延々と、バスに乗って行ったんだったと思います。
今は、青葉区になって、たくさんの家が建ってますけど、
その頃は、まだ、発展途上の町で、広大な野原がありました。
その野原の真ん中あたりから、青空めがけて一直線に飛ぶ、雲雀を見たときには
えらく感動したのを思い出します。
そしてまた、バス停の近くには、手作りの鳥籠を売る店があり、
その店の鳥籠に、雲雀のほかにも、いろんな野鳥が入れられてもいました。
鳥獣保護法というか、鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律というものが出来たのは、
1963年ですから、当時は既に野鳥を捕獲することは禁じられていたんでしょうけど、
当時、そんな法律が通じたのは、コンクリートの街中のことでもあったようです。
鳥獣保護といえば、最近は、蛍でも、勝手に捕まえたりすると、逮捕されるんだそうですね。
まことに、自然は遠くなりにけり、、です。
青い蜜柑を食べながら、いろいろと書いているせいか、ちょっと酸っぱい話になりました。
法律で思い出しましたが、日本という国はなんと奥深い国なんだろうと、痛切したことがありました。
公の場で書く言葉には、いろいろと、書いてはいけない言葉というものがありますが、
10年ほど前に、北海道から来られた方が持ってこられた健康診断書には
その内容をそのまま平仮名で書きますと、
あへんちゅうどく、しゅらん びっこ、かたわ、、、ではない、と。
その診断書の日付を10回くらい確認しましたが、何度見ても、平成8年○月○月と、
書かれて、医師の名前と、印が捺されていたのです。
私は、一度でいいから、この診断書を書かれた先生に会ってみたいと、そう思いました。
東北に住む、夫の親族によると、狩猟をする先生に、
このような表現をする人がいたという話を聞き、
その思いは益々強くなって、とりあえず、当時愛読していた、医者とも有ろうものが、という
本の作者である、那須の、見川鯛山先生の診療所を訪ねて、先生に聞いてみようと思ったんですけど、
その日も診療所は『本日休診』でした。
話は戻りますが、佐藤春夫は、この歌を書いている頃、友人である、谷崎潤一郎の妻に
思いを寄せ、一度は谷崎から、譲ってやろうといわれたものを、撤回されたために
心を病んでいたんだそうです。
―あはれ 人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸(はら)をくれむと言ふにあらずや―
結局、10年の歳月の後、谷崎は妻を佐藤春夫に譲るという誓約文を、
佐藤と妻と谷崎の連名で新聞に載せ、
それは、細君譲渡事件として世に知れ渡ったのだそうです。
青蜜柑は、早生蜜柑 ともします。
家々の庭などにも、そろそろ青蜜柑の成る頃ですね。
同じ色の葉っぱの中に、その青い実を見つけると、なんとも嬉しいものです。
行く秋のなほ頼もしや青蜜柑 松尾芭蕉