ここ数日来のニュースによると、ニホンカワウソが絶滅したらしいです。
すでに絶滅してしまった、季刊誌『市民グラフヨコハマ』の中に、
昭和の初めには、今の都筑区あたりにもカワウソがいた、という記事がありました。
父の郷里である、鹿児島の、百引というところに行った折、カワウソを捕まえるための罠を見た覚えもあります。
けど、私が子供の頃からでさえ、カワウソが捕らえられたというお話はとんと聞かないです。
できれば、日本の片隅で、あのクニマスみたいに、ひっそりと生息していてくれたらなあ、と、仄かな希望を抱いているけれど、私が子どもの頃に見たような豊かな自然や川の流れを、今の日本に期待をする方に無理があるかも。
カワウソといえば、獺は、獲った魚を巣の周りに並べておく習性があるそうで、その様子が、古い中国で河の岸辺に、祖先を祀るために魚を並べた風情に似ている、というので、獺祭と表現され、五経という儒教の経典の、礼記という書の中に、孟春、春が盛る頃、として、『東風凍を解き蟄虫は始めて振く。魚冰に上り獺魚を祭り、鴻雁来る。』とあります。
唐の時代、河岸に佇み、詩歌を詠む李商隠という官僚の、獲物を前にして佇んでいるカワウソの様子に似ているとして、獺祭と呼ばれていたのだとか。
それから時が進んで、明治の時代になると、枕辺に書物を並べ立て、俳句を詠む正岡子規は、自らを、獺祭書屋主人と称し、子規の亡くなった、9月19日(新暦)は、獺祭忌として、俳句の季語になっています。
獺祭は春の季語で、獺祭忌は秋の季語です。
先日、踊る大捜査線the finalを観に行った折、日本風の七十二候を作り上げた、渋川春海の、『天地明察』の予告がありました。
また映画を見に行かなくちゃ、です。
踊る大捜査線の方は、な~るほど、それでバナナだったのかあ、と、今頃気がついた私です。
それと、脚本家は松本清張が好きなんだろうか、とも。
カマダの次は、鳥飼だ、な~んてナ。
因みに、俳句の世界では、中国古来からの、七十候を基にした季節の移ろいを季語にしているそうです。
子規逝くや十七日の月明に と詠んだのは、高浜虚子です。
枕辺に本を並べ立てている私は、獺祭書店の店員の端くれ
くらいにはなれるかな。