税務署に書類を届けるのに、前田橋を渡って日向道を歩くのは辛いから、
フランス山公園を抜けていくことに。
港の見える丘公園前でバスを降りて、港の見える丘公園に入ると、
横浜港が青く輝いて。
私はこの景色が大好き。
子どもの頃、この公園は、ただの野原だった。
母の話では、今、英吉利庭園があるあたりに、避病院があったそうだけど、
本当のことは分からない。
ただ、とても深い崖のようになっていて、子どもたちのあいだでは、
この底に落ちると、死ぬ、っていう噂がこっそり流れていて、だからそばに行かないようにしていたけど、
ここの脇を抜けたところに、木苺がたわわに実っているので、大きくなったら絶対行ってみる、
と、一大決心をしていたっけ。
夏になると、三角のテントを張ってキャンプをしているお兄さんもいて、黒い飯盒でご飯を炊いて
食べていたりして、完璧にリゾート地のようでもあり。
崖っぷちの端っこの方には、清水も湧いていて、沢蟹もいて、木苺も実って、
ガムの代わりになる、茅萱も生えていて。
この場所に大人が一緒に来て遊んだことは一度も無かった。
怪我をすると、誰かが蓬を揉んで、その傷につけてくれたり、
紫に熟した犬枇杷を採って食べたり、ホンチを捕まえたり、
樟木に集っている、玉虫を捕まえたり、
それは全部子どもだけの世界。
親に信用があったのか、親が忙しくて、子どもに構う暇がなかったのか、
多分、大人の領分と、子どもの領分がキッパリと分かれていたんだと思う。
その中の、男の子たちが少し大きくなると、小さな冒険に出かけたのが、
バラ線の中の、フランス山。
うっかりすると、鋭いバラ線でかぎ裂きの怪我をしてしまうという、スリルに溢れた冒険の末に、
ホンチやババや、蟻地獄を捕まえに行くのだ。
そこは、私の見知らぬ遠い世界であり、蛇がうようよと居る世界でもあり。
残念ながら、私がフランス山に初めて踏み込んだのは、
既に横浜市が買い求めて、一般公開され始めた頃。
中腹のあたりに牡丹桜が咲いていて、煉瓦の階段と、壊れた壁と。
それは当時演劇部で演じていたロクサーヌにぴったりの舞台だったので、
友人と行っては、そのロクサーヌのセリフを諳んじていたものです。
久方ぶりに歩く公園は、すっかりきれいに整備されて、ただの公園と化してしまったけれど、
戦争であったのか、震災であったのか、壊れたままの建物はそのまま。
そして、私は、長い長い年月をかけて、この場所の木々の間から、青い海が見えることを知った。
緑の木下闇から望む海は、一層青く輝いていた。
