◆有備館について
宮城県大崎市岩出山は,伊達政宗公が仙台城へ移る前に居城としていた岩出山城があった場所。
政宗公の四男宗泰公を初代とした岩出山伊達家が岩出山を治めていました。
有備館は,江戸時代に岩出山伊達家の家臣子弟の学問所となった建物で,1677年に建てられたとされています。
庭園は四つの島を配した廻遊式池泉庭園で,樹齢300年を越える樹木など四季を通じてその景色を楽しむことができます。
岩出山伊達家三代敏親,四代村泰のときに京都冷泉家からお輿入れがあり,その頃に植えられたという桜が今も残っています。
有備館と庭園は1933年に「旧有備館及び庭園」として国の史跡・名勝の指定を受けました。
◆2つの大きな地震
2008年の岩手・宮城内陸地震によって主屋や附属屋に柱の割れや壁面の亀裂などができ,修復作業を2011年4月から実施予定でした。
ところが,作業開始直前,2011年3月11日に東日本大震災が発生し,主屋は33本の柱のうち30本が折れて倒壊,炊事場などがあったとされる附属屋や庭園も大きな被害を受けました。
修復計画は再検討され,2011年12月から復旧工事が開始されることになりました。
▼東日本大震災前後の比較
復旧工事中に何度か見学会,内覧会が開催されました。
下記はその際におうかがいした説明です。
◆重要文化財に準じる扱い
・建物自体は文化財指定されていませんが,「旧有備館及び庭園」という国の史跡及び名勝を構成する建物であることから国指定重要文化財建造物と同様の扱いを受け,復旧工事が行われました。
復旧費用をもらえるありがたさの一方で,あくまで“復旧”のため,基本的には震災前の状況に回復させることが条件となり,同等の木材が手に入らないからといってランクが上のものを使用することができなかったり,作業工程の一つ一つに国の確認を取る必要があったりと苦労する部分も多かったようです。
2011年12月に開始した工事が2015年までかかったのもうなずけます。
◆修復作業について
・できるかぎり元の材料をいかし,破損や強度不足の部分のみ現代の材料,工法を取り入れている。
・今後万が一同程度の地震が起こった際でも,建物が倒壊せず,来館者の安全が保たれることを基準として耐震補強が施されている。
・主屋から眺める庭園の風景が名勝となっているため,建物の中に人が入れるよう耐震補強を施しているが,人目につかない納戸や柱に沿って鉄骨を入れてあるとのこと。
▼破損した部分を新たな木材で継木している
▼新たに追加した木材であることがわかるように焼印が施されている
▼復旧工事の経過を説明するパネル
▼屋根部分(左)と骨組部分(右)を同時進行で復旧
白い木材は今回新たに入れ替えた部分。黒い木材は元々のもの。
▼茅葺屋根の材料を探すのも一苦労だったとか
◆解体で新たにわかった点
・木材は硬いブナを使用している。
・壁の塗り方は地方や職人によって技法が異なり,旧有備館は「米沢流」という技法(米沢の限られた地域の職人の技法)で塗られている。
→伊達政宗公は山形県米沢生まれ。米沢から移り住む際,地元の職人も引き連れてきたと推測されます。
・欄間など,通常は後からはめ込む部分が建物を建てながら組み込むつくりになっており,高度な技術が使われている。
・縁側の板のはり方が独特。板を横に並べる「布縁」。
なお,新たにわかった部分については,復旧工事とは別に独自予算を組んで再現しているとのこと。
「上の間」の床の間や床脇の違い棚は今回新たに復元されました。
▼2015年には建物が復旧。内部はまだ入れませんでした。
2016年4月の現在では,中に入ることもできるようになったそうなので,今週末にでも訪れてみようと思います。
