こころーあたまーかんじて考えてー  | KacmiのSparkly Diary in NEW YORK

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「自由人」というよりは「宇宙人」!?
Dancer、Singer はたまた Pilates Instructorとして活躍する
Kacmiのキラキラな日常;)

夜更かしー

にちょっと雑談。


(長くなってしまったので時間ある人はどうぞーw)


心に思う事が

ぽーんと

色んな形でかえってくる。

良くも悪くも

「ああこんなことを願っている、というふうに伝わってしまったのだなー」

と。




楽しかった事が、

いつの間にかなんだか

気を使うような感じになってしまい


これは私の悪い癖なんだけどね。


嫌われたくないーーー

と思ってしまい


予防線を張ってしまうの。




何かそんな事を考えたら


疲れてしまったので


しばらくからっぽーーーーーで

暮らしていこうかなーと思っています 笑


もちろん「いいこと」は

投げかけていくけれどもね。




そして

まあ私twitterもやってるんですが

著名人なかたも沢山フォローしていたりして

その中に

「乙武さん」もいるわけなんですが。。。



彼のツイートはホントに彼の人間性を表している、茶目っ気溢れる男性のつぶやき

って感じなんですけど。


これは自分の中にも多少なりともある

「障害者」「健常者」と分けて考えてしまう部分を

もうこれでもかーーーーーーーーーって

からっと吹っ飛ばしてくれるようなつぶやきで



たまに「雪のとき、車いすのタイヤは交換するんですか?」なんて質問に答えている彼のつぶやきに


「ああ!そうか!そういえば乙武さんって車いすだっけ??」とはっとしてしまう自分がいて。




そんな彼がよく

彼に寄せられた質問や意見なんかをリツイートするんだけど


その中に不思議な意見や興味深い意見が沢山あって

私はそのリツイートを読む度に

「何故この人はこんな風に考えるんだろう?」

「何故こんな風に意見を言うのだろう?」と

いつも考えさせられる部分が沢山あって。



それは同時に

「じゃあ自分はどう思うのか?」というところを無意識に考えてもいて

自分を振り返る機会にもなったりしていた。




さっきtwitterを更新しようとしてページを開いたら

彼の言葉が綴られており、

それを無視する事は出来なかった。




以下コピペ




昨日の深夜の議論は、なかなか面白かった。僕が、自分とは異なる意見をRT(引用返信)するのが、「晒しあげ」のようで気分が悪いと。ちなみに、僕にそんな意図はなく、自分の意見と同じだろうが、異なろうが、みなさんにも考えていただきたいと思ったツイートはRTするようにしています。(続く)

「しかし、RTされた人は乙武さんに宛てたのであって、不特定多数に読まれることを想定してないのでは?」とありました。でも、ここはメールのような1対1の関係性でなく、ツイッターというメディアです。不特定多数に読まれて困るような発言を、ツイッター上ではすべきでないように思う。(続く)


持論をぶつけておきながら、僕に反論をされると、急に「私は一般人だから」という隠れ蓑に逃げ込む人もじつに多い。議論をするのに、著名人も、一般人もない。実名を明かせとまでは言わないから、せめて公の場で堂々と自分の意見を発信する覚悟と責任を持っていただきたい――という深夜の議論でした。






この深夜の議論、をまったく私は読んでいなかったのだけれど

(おそらく爆睡ー風呂、という感じだったかとw)

それを読まずとも、感じるものがすごくあった。


それはきっと

過去の彼のリツイートを読んでいたからだと思う。




あるとき

「乙武さんのような障害者が知事になって、日本を明るくして下さい!障害者でも世界を変えられるという希望を与えて下さい!」


というような意見があった。

(細かい部分は全然違うと思いますが、このような内容でした)



。。。。。。。


突っ込みどころ満載じゃないですか?

ああ、少なくとも私にとっては。




まず

誰が何になるか、と言う職業選択の自由は

法律でも認められた誰にでもある権利だと思うし。


もしそうでなかったとしても

見ず知らずの他人が(その人を良く知る家族でも友人でもない人物が)

「○○になってください」って

おかしな話。



そして思ったのは

「言い方」



○○だったらいいのになー

という希望を述べる文だったらまだいい。


ああ

そういう風に思ってくれる人もいるんだなー

そう思える。


けど

その人の文章からは

強制のようにしか聞こえなかったし、

犠牲になってくれ、と言うようにも聞こえた。



私の主観的意見。



その人の言わんとする事もわからないでも無い、


でも


その発言の奥に見えるのは


「障害者=特別」

「障害者で有名な人=特別」



つまり

一見持ち上げているようで

差別発言を堂々と本人にしている、と言う事です。



だからすごく気持ち悪かった。



確かに乙武さんは

身体障害者であり、有名人である。


かれはその

「上っ面(肩書き、ともいうのかしら)」でしか

彼を見ていない。



例えば

彼が小学校教師だった体験

スポーツ記者としての手腕、観察眼

人から愛される人格の持ち主


ということから

「国民の代表になるにふさわしい人だからなってください!」


ということではないのだ。


(上の意見もそれ自体が彼を表すすべてではないし、むしろ肩書きに近い部分が多々ありますが)




まあとにかく

そんなようなリツイートが日々ある。


攻撃的な内容もあれば

(「人間が豊かになる為に開発は仕方ない。あなたは今の便利な生活を捨てても良いんですか?」とか。)



ほのぼのした日常会話(旅先で何が美味しかったですか?)や

たまに下ネタも 笑







色んな人の

色んな意見がある。


今こうやって書いた内容に

真っ向から反対の意見の方もいらっしゃると思う。


それはそれでいい。


育った環境も、何もかも、違うんだもの。

影響を受けたものも、

日々暮らしていて感じる事も全く違う。



別に違っていいし

分かち合えない部分があっていい。



私はそう思う。



ただ言いたいのは


「自分でした発言には自分で責任を取る事」


ってだけ。




ましてやインターネットの、

表情も声色も

その人の今日も機嫌さえも全く見えない

無機質な文字だけの

しかも制限された140文字の中で

自分の考えを伝える。



ハッキリ言って怖い。

討論をする場ではない。

行き違いが起こって当然なのだから。



だからこそ

真剣に、慎重にその140文字を選ばねばならない。


行き違いになって

電話ですぐ「さっきはごめんね、じつはこういう事情でさー」

なんて言えるような距離にいない人に、だ。



だったら

友達、家族以上に慎重にならなきゃいけない。


思いをぐっと胸に堪えて、言わないという選択肢だって当然必要だ。



でも何かを発信するならば

誤解の無いようにわかりやすく、

意図が伝わるようにしなければならない。


且つ私たちは日本人。


当然その人の背景や置かれている状況、立場なんかも考慮するだろう。






でも時折

何かに熱くなった時

私たちはすべてを忘れて

感情だけでものを言い、動いてしまう生き物だ。



でもそれで失敗した、って思い出は

星の数程あるはずだ。



そんな自分を客観視し、

冷静に押さえる場面が

行きていく上では必要だし、

みんなその経験はあるはずだ。




だったら

「逃げるの」はやめるべきだ。


自分の行動、発言には責任を持って対処する。


みんなそうやって日々生きているはずなのに



twitterや

ネットの中でだけ

無責任になってしまうのは

おかしいのではないだろうか?


誰かのせいにして

追い立てられる心配も無いから無視して

パソコンの電源を切ってしまえばそれでおしまい。



ただそれだけ








どう思うかは人それぞれ。

ただ

私は

それが嫌だ、と思うだけ。



twitterだろうがブログだろうが、

友達に話す話だろうが、仕事の場所での話だろうが


全部一緒。


どう行動するか、

どう発言するか


すべてに

「その人の生き方」が出てしまうものだと思う。


うまく隠せた、と本人は思っていても。





余談:




この夏、日本に帰っていた時に観ていた高校野球。


甲子園へ言った球児達へ視聴者からの応援メッセージというものが

テレビの実況中継、試合の始まる前に読まれました。



当然私は

地元チーム、新潟明訓を応援していたのですが、

応援メッセージにも

県民性、と言うものが出るなーと思いました。




対するチームへの応援メッセージは
(どこの県かは忘れましたが)

「○○高校の皆さん、頑張って下さい」と言うものでした。

(まあ普通、ですよね)



そして

我が県、新潟からの応援メッセージ

ピックアップされた応援メッセージは



「明訓高校の皆さん、野球で新潟を盛り上げていって下さい!!!」

「新潟を元気づけていって下さい!!」



というものでした。






このメッセージから

何を感じたか


それは

読んだ皆さんの想像にお任せします。



ではおやすみなさい