朝リハはコレオグラファーがSICKで無くなり
ゆったりめの朝。
クラスと夕方から又リハ。
ものすごく眠気と空腹を感じながら帰宅。
お買い物して久しぶりにまともなものを作って食べた感ww
白菜とベーコンのお鍋
ほうれんそうと玄米ご飯
いま少し自分の道を考えてることもあって考えた。。。
「生きる」ってどういうことなんだろう。。。って。
どこに住む
何をして生きる
何をしてお金を得る
何をお金を使って得る
作る
食べる
人に会う
遊ぶ
家族を築く
一人で生きる
・・・・・・・
今ダンスができること
カンパニーメンバーとして活動できること
パフォーマンスできること
美味しいものを食べられること
友達と会うこと
お部屋があること
今私が幸せだな~って思えること
でもそれってやっぱりお金を親から支援してもらえたり
学校からVISAを得てNYに滞在できること
が
すべてのBASEにあって
その二つがなくなったとき
私どうなっていくんだろうって。。。。
それが無くても訪れる「別の幸せ」?
そしてまたこの二つのBASEがあるからこそ起こる「制限」
その「制限」を解き放つには又
今とは違った「生き方」「生活」があり
その中でまた私は
「幸せ」を感じて生きていけるのだろうか・・・・・
昔は夢を叶えるために手探りでがむしゃらで
こうやっていまNYにいる
夢を追える、と言うのはとても幸せなことだと思う
でもかといって
夢、でなくとも自分の力でお金を稼ぎ
そのお金で好きなものを買ったり、美味しいものを我慢せずに食べるのも幸せ
家族を持つのも幸せ
「幸せ」の形は沢山、その瞬間瞬間で変わっていく
希望の職業について一日の大半時時間をそれに費やし
家に帰ってご飯作ったり掃除したり、
一緒に住んでいる人と会話したり、
友達と電話したり、E-MAILしたり。。。。
そうやって毎日生きていく事が
「幸せ」であり
「生きていくこと」なんだろうか
その繰り返しが「生きていくこと」
その繰り返しが「幸せ」
そうして繰り返していって
わたしたちはどこに行くんだろう
私達は死ぬまでに何回その繰り返しをするんだろう
こんなことを考えられること自体が幸せなのかもしれない
目の前の事、生活することだけにいっぱいいっぱいの人は
「今」を行き、考える暇もないのかもしれない。。
刻々と変わっていくNYという街の中で
ふと考えたKACMI
答えは依然出ていません。