試練を乗り越えて、自分が強くたくましくなったときに
試練に感謝する気持ちっていうのはわかる。
それを「悲しみよありがとう」と表現したのは
逆説的でうまい表現だと思う。
でも、ね。
このフレーズにはどうしても反発してしまう。
炭次郎もそうだろうけど、
この先どんな輝かしい未来が自分を待っていたとしても
大切な人を理不尽に亡くした悲しみに感謝することは
ないよ。
100歩譲って許すことが出来る日は来るかもしれない。
でも、「ありがとう」は絶対にない。あり得ない。
感謝できる悲しみもたくさんあるだろうけど、
感謝できない悲しみもある。
と言いつつ、
オレが試練を乗り越えられてないってことなのかなって
思ったりもして。
LiSAというアーティストと本来の自分が近づいてきている
という趣旨の発言をよく目にするようになったけど、
それはとてもうれしい。
演じたり取り繕ったりしなくていいのは
本人にとってもやりやすいのかもしれないけど、
もしかしたらLiSAの後ろに隠れられなくなった分だけ
ココロがむき出しになって、
本人にとっては辛いことなんじゃないかとも思う。
そう想像してもなお
本来のりさに触れられるのはうれしいと感じてしまう。
ファンって残酷なもんだな。
背負い過ぎないでね。