このブログを始めて2年が経とうとしています。

みなさまには、いつもご来訪いただき、ありがとうございます。

あちこちで「ブログ読んでいますよ」と声を掛けていただくのもうれしいことです。

「気づき力磨きcafé」第七期には、ブログを読んで参加を希望してくださった方もいらっしゃいます。

ブログが、気づきを求める方々に届いていることの証と思い、とても感謝しております。

 

 

週に一度、更新してきましたので、そろそろ100回の節目ともなります。

そこでこれから数回、タイトルの後半部分「高安直子のブログ」に焦点を合わせて、

ワタシ自身のお話をしてみたいと思います。

どうぞよろしくお付き合いください。

 

 

ワタシがコーチとなって16年になりますが、そもそも、コーチになろうと思ったのはなぜか。

その理由をお話しするには、ワタシの人生の転機について触れなければなりません。

 

 

17年前、ワタシは、専業主婦でした。

ママ友を集めてカルチャースクールのようなものを開催したりもしていましたが、基本は育児と家事。

毎日、時間に追われながらも、こどもたちの成長を楽しみに、朗らかに過ごしていました。

 

 

そんなある日の午後に、当時の夫から掛かってきた一本の電話。

勤務していた会社と夫との間に問題が発生していたことがわかりました。

そのときから、すべてが変わったのです。

 

 

家族四人で暮らしていた家から、ワタシがこどもたちを連れて出ることになりました。

いちばんに考えたのは、やはりこどもたちのことです。

不安を感じさせないように、ワタシがつらそうな様子を見せないように、精一杯努めました。

また対外的にも、こどもたちを守るために、毅然とした態度を貫きました。

 

 

いま思い返すと、あの頃のワタシは、オスカー女優さながらでした。

母は強し、こどものためならなんでもできる、なんにでもなれる、

というのはほんとうのことだと思います。

そんな「まさかのとき」に、体の底から力を汲み上げて、顔を上げられる自分だったとも感じます。

また、その力も、こどもたちがいてくれたからこそ、湧いてきたものだったのです。

 

 

両親がまだ元気で、支えてくれたこともありがたかったですね。

ワタシがこどもたちを思うように、両親もワタシを思ってくれていました。

それは親子として当たり前のことのようですが、厳しい状況のときには身に沁みます。

 

 

ともだちにもほんとうに助けられました。

ワタシたちは「なにがあっても変わらない友情」を理想としますが、

それが現実となったとき、理想以上の素晴らしさを体験します。

それは、こどもを預かってくれることだったり、

こども同士も変わらずにつきあえるように配慮してくれることだったり。

本人たちは、さりげなく、普段の生活の一環のようにしてくれるのですが、

ワタシには彼女たちが女神様のように見えました。

 

 

実際、女神様だったのだと思います。

ワタシはそれまで、自分一人でなんでもできていると錯覚していました。

なんなら、人のためになることまでしていると。

それは、大きな勘違いでした。

ワタシは、こどもたちや両親、そしてともだちという尊い存在に守られ、

助けられ、救われながら生きていたのです。

 

 

夫がワタシにもたらしたものは、まさしく「青天の霹靂」でした。

「霹靂」とは激しい雷鳴のことだそうです。

真っ青に晴れている空に、突然雷鳴が轟くような出来事が、ワタシの身にも起こりました。

 

 

でも、それは、ワタシの新しい出発の銅鑼でもあったのです。

雷鳴を銅鑼に変えたのは、ワタシ自身であり、またワタシの周りのすべての人のおかげです。

 

 

来週は、新しい出発の初めの一歩となった、コーチングとの出会いから、お話をつづけますね。