前夜午後7時前、あと13時間49分後,,,カウントダウンを見ると気持ちザワザワ

 現在、10分前でカウントが止まっています。

 とりあえず予定通りのようで、打上げ10分前状態で1時間ホールド中とのこと。

 カウントダウンは30秒まで進み、そこでホールド中 

 これはロケット上部から見ているもので、斜め左下からアーム出てきて、ロケット頭部を抑え込んでいます。

 あとは燃料を抜き取るなどの後始末などが進む(みたい)

 

 なんかよくわからないうちに成功裏にウェットドレスリハーサル完了

 NASAのYoutubeは音声が流れていません,,,ずっと,,,

 だから何が起きているのかは不明ですが、特段問題は起きていないようで、これでじわじわと終了するのかな,,,

 終わった、とのこと

 ちなみに、NASAの公式Youtubeで見ていましたが、これはリハーサル終了9時間前のアンケート調査で1500人くらいの人が回答しています

 

 パーフェクト,,,すべての作業が順調に終わるを予想した人  50%

 小さな問題は生じるが最後までリハーサル完了       33%

 燃料充填中に漏れが発生(前回これでリハーサル中止)      11%

 大問題発生、早い時点でリハーサル中止             6%

 

 見ている人、アンケートに答えた人は必ずしも米国の人ではない,,,もちろん私もその一人

 陰謀論者や某国関係者も見ていて、リハーサル失敗しろ、、、などと思っている人もいるんでしょうかね

 

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 ちなみにこれはStarlinerの記事

 CST-100 スターライナーはボーイング社がNASAの商業乗員輸送計画の下で開発したカプセル型有人宇宙船に関する記事

 2024年6月に初の有人飛行テストでISSへドッキング。

 上記写真はその時のもの

 打ち上げは本来5月の予定でしたがアトラスロケットの酸素バルブ不調で遅延

 軌道上でのヘリウム漏れやスラスターエンジンに問題発生

 ミッションが2カ月ほど遅延して、「安全性と性能要件が満たされない」と判断され、もともとは乗員2名とともに帰還の予定であったが、無人での帰還となった。

 

 wikiの情報では2026年4月に無人テスト飛行に切り替えて再度飛行が行われる予定とのことですが、上記X投稿だと不具合が解決されていないみたいですね。

 結局方向性の違いということらしい,,,日本にも言えること。
 いつまでも使い捨ての機体を使っても技術の発展はないということはわかっていても、NASAはスペースシャトル用の旧式のエンジンを所有していて、これを使い切りたいとしている,,,となるのその時点では一部新造した機材も捨てるので無駄が多い。
 
 対してスペースXは当初から機材転用前提で設計がなされているので,,,
 

 検定試験的に言えば、アトラスV ⇔ スターライナー ⇔ボーイング社ということだけを覚えておけば足りそうです。

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 ビッグバン合成論での軽元素の割合(天文学事典から)

 対数表記なので上の方にある元素が多いもの

 

 一番上はPでプロトン,,,陽子(水素原子核)

 あとはヘリウム、温度が高い時期にはn中性子があり、温度が下がるとD(重水素)、T(3重水素)より減少してくる

 あとはヘリウム3、リチウム7、ベリリウム7、ベリリウム6

 

 ここで興味深いのは中性水素(陽子+電子)がない点。

 中性水素ができるタイミングは「宇宙の晴れ上がり」時点。

 この時に陽子が電子を獲得して中性水素となります。

 

 ビッグバン元素合成時には中性水素はできないというのは注目ポイント。

 

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 これも落穂ひろい的な話題。

 ハイパーカミオカンデについては空洞が公開されたということもあり、また2028年ごろ使用開始ということでもあり、何か出てもおかしくはない。

 基本的に「大きくなる」「たくさん並べた」「機材は更新され感度はよくなる」

 

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 これは面白そうな話題ですが、記事としては1年前。

 ただし大正15年(2026年)起算なのでちょうど100年でいいかな,,,

 上記アストロアーツの記事を見ると

・アマチュア天文学の父と言われる山本一清

・19歳で単身サンフランシスコへ渡った山崎正光

・反射鏡研磨に挑んだ中村要(かなめ)

・機械部分の製作を担った西村製作所

 関係者4の名前があって、山本一清さんと西村製作所はいいとして、

 山崎正光氏は水沢緯度観測所で長年勤められた方で「趣味が反射鏡磨き」だったとのことhttps://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1959/pdf/195908.pdf

 

 中村要氏のwikiによれば、

 1923年(大正12年)頃より京都帝国大学内の様々な天体観測器具に触れ、独自に改良等を試み始めた。特に1925年(大正14年)より光学品の自作へと向かい、反射鏡の研磨を行うと共に、望遠鏡自体の設計製作を行うまでに至った。死去するまでの7年間でパラボラ鏡をおよそ300面、平面鏡を10面、対物レンズ40組を製作した

「趣味の天體觀測」(中村要著 岩波書店 1926年)

「反射屈折天體望遠鏡作り方觀測手引」(中村要著 新光社 1929年)

「天体写真術」(中村要著 恒星社 1934年)

「反射望遠鏡」(中村要著 恒星社 1942年)