履修科目④:倫理とグローバルガバナンス | MBA留学記 in マドリッド and ボストン

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Spain/Madrid のInstitute de Empresa(IE) Business School、及びUSA/BostonのThe Fletcher School Law and Diplomacy留学記です。

第4回は倫理とグローバルガバナンス(Ethichs and Global Governance)。この授業はハーバードケネディスクールでの授業だ。元々ケネディでは他の授業を取りたかったのだが、一杯だったので同じ時間にやっていたこの授業に参加してみたら意外に面白かったので履修を決めた。


ビジネスの面に限らず、人生の選択に於いて、様々な意思決定を行わなければならない。AかBか。究極の判断を迫られた場合、その判断基準となるものは何か。何が正しくて、何が間違っているのか。答えが出ないことを分かりながら、それでも自分なりに判断基準となるようなものを作る為にも、とことんまで考え抜く訓練を、この授業を通しやりたかった。



1.全体の感想:
最初の理論編はよかった。功利主義のベンサム・JSミル、またカントやアリストテレス、孔子の思想を一しきり学んだ。

他方、移民、気候変動、貿易等に就いて倫理的に考える応用編に入ると、どうしても実現性の無い理想論を唱えるだけの空虚な議論に思えてしまった。倫理の議論は、何がRight, Justice, Fairなのかを考える、ひょっとして実行とは位相の違うことなのか。特に授業の後半からそういう違和感を覚えながらの参加となった。


言わずもがな、倫理を説く人が必ずしも倫理的で無い様に、これを学んで実際に自分の中で何かが変わるのか、変わったのか、正直分からなくなった。これが正直な感想だ。がっぷり四つで組むべき科目に対し、どこかで冷めて肩すかしをしていたのかも知れない。


またこれは、自分自信が究極の選択に迫られる様な切迫感の状況では無い話に、どうしても感情移入出来なかったのが原因かも知れない。結局、人権、移民、気候変動、不平等貿易等の問題に対し自分の問題とは感じられないので、何かそうしたことに対し言葉遊びをする様なことに虚しさを覚えたのかも知れない。


基本的な常識に照らし合わせれば、意外と間違うことは少ないんじゃないか、と思う。但し、この常識が知らず知らずの内に自分や組織の都合のいい常識になってしまう可能性があり、ここが問題ではあるが。


2.理念の大事さ:
但し、世の中を動かしうるのは矢張り普遍性のある言葉であり、これは個人の倫理観からも来るものであると思う。政治は、遠大な理想を掲げつつ超現実的に動くという、ある種曲芸が求められると思われるが、やはり究極的には正しい理念に人は動かされるのだと思う。建前と本音は随分違ったりするのだが。


誰かが一定の負担をしなければならないグローバルな課題に対し、倫理的な判断から来る理想が、一つ一つ現実になっているのは、国際機関のUNCHRやNGO等で実例を見ることが出来る。向こう30年後位には、今回学んだことがちゃんと理解し肚落ちするようになっているのかも知れない。少なくとも、目の前のことからちょっとずついいことをしようと思う。


3.西洋的・東洋的:
生徒のドイツ人が、論語の内容があまりにも相互に矛盾しており、「状況により最適に判断する」という、ある種軸の無い考え方に、何度も違和感を唱えていたのが印象的だった。「いやだって、絶対的な基準が無いと、何が正しいか分からないじゃん」と。


乱暴に東洋と西洋を分けてしまえば、


東洋は直感的・身体的・主観的。
西洋は論理的・頭脳的・客観的。


なので、西欧人(とこれも乱暴に括ると)を納得させるためには、言葉の筋・論理を確りと通さなければならない。逆にちゃんと通すことが出来れば、納得してもらえることが出来る。この感覚を得られたのは非常によかった。



尚、授業についていくのは非常に大変だった。言葉の問題もあるし、そもそも概念自体が難しい。
教授も難しい言い回しを使うし専門用語も出てくる。正直、講義内容をちゃんと消化しきれたとは
言い難い。日本語でやったなら、もっと大きな気付きがあったのかもしれないが。


いずれにせよ、贅沢な時間だった。来週の2回で最後です。