皆さん、こんちくわ。


ちくわはタンパク質もとれてダイエットに最適です(棒ー)


今日は「情報」について、わたしがこれまで身体で学んできたことを、すこしだけ共有させてください。


わたしは8年ほど前から、足の機能を回復する整体セラピストとして活動しています。それは職業といいます。アメブロは魂の仕事、魂業(たまなりぎょう)です。


はじまりは、非常に繊細な徒手療法との出会いでした。脊髄反射を利用し、背骨や神経へ微細な刺激を入れてバランスを整える。


それは単なるリラクゼーションではなく、人体の神秘へ“静かに触れる”ような施術でした。

その手技はとても複雑で、数百に及ぶ操作を学ぶ必要があり、習得には高度な観察力と正確な意図が求められました。

わたしは学んだ技術を仲間と日々練習しながら、身体がどう変化し、どう戻ろうとするのか──とても深い“人間という構造の意志”を感じるようになりました。


たとえば、すでに上がっている右肩に「上げる操作」をされると、本来の中心線からはさらにずれてしまいます。

でもこれは練習

意図や観察のない手技も、ときには学びの一部になります。施術を受ける側としての私は、その頃とても未熟で、

「自分に必要ない刺激」

「自分の枠を超えた情報」を

すべて吸収してしまう

体質でした。


つまり──

本来なら、はじくべき

“他者の手・意図・情報”すら、

受け入れてしまう。


その結果、練習後にはバランスを崩し、起き上がれないほどのダメージを受けたことも何度もあります。

どうして自分だけこんなにポンコツで練習が進まないのか、と悲しくなって、ついに学校長に直談判。


「この手技は危ない!お客様に施術できません!」と。


未熟な自分の体のことは棚に上げてキーキー訴えました。でも学校長はまーまーまーと受け止めてくれて、結果的に私は、なぜ自分が情報刺激に弱いのか?どうすればそういう人をサポートできるか?という特別授業のような時間をいただくことに。ちゃっかり得しました。


この経験は、いまのわたしにとって、大きな教訓となっています。


それは──

情報は、それを受け取る人の「位置」や「状態」によって、薬にも毒にもなるということ。どんなに高次の意図があっても、どんなに優れた構造があっても、受け取る器が準備できていなければ、その情報はときに心や身体を傷つけることさえある。


逆に、毒にも薬にもならないような情報は、ただのブレインキャンディー。おいしいけど、栄養なし。ただの知的おやつ。効きはしない…でも、おやつも神!


だからこそ、わたしは「自由意志」を何よりも大切にしています。変わりたいと望む人が、安全にアクセスできる空間を整えたい。それだけです。


情報はあくまで中立であり、それをどう受け取り、どう扱うかは、それぞれの魂の段階と選択に委ねられています。


今このアメブロという発信空間で、私の投稿や、

様々なブロガーのクセツヨ発信を見て、

「それって本当なの?」

「もし間違った方向だったらどうしよう……」と

感じる方がいるかもしれません。


もしも、昔のわたし──体が弱々で、自分のバランス感覚もおぼつかず、外からの影響を全部吸ってしまっていた頃のわたしが、今のわたしの発信を読んだとしたら。

きっと

「なんじゃコラ」と思います。

ノストラダムスの大予言バリにこえーよ!恐怖の大魔王て何やねん!意味わかんねぇ!ってなる。

悩む。怖い。混乱する。



情報刺激そっ閉じの儀、発動です。

でも、だからこそ、伝えさせてください。

わたしが届けているのは、誰かに“入っていく”情報ではなく、選ぶ人だけが“触れられる”場所のようなものです。


かつてのわたしが、無防備にあらゆる刺激を吸収していたように──「情報の使い方」にも、それぞれのタイミングがあります。


だからこそ、無理に受け取らなくていいし、無理に近づく必要もありません。情報には段階があります。それぞれの意識に応じた入口と深さがあります。


そして、本当に必要なものは、あなた自身の魂が、自由に選ぶはずです。その選択の自由を、私は誰からも奪いたくありません。


書く側も受け取る側も、

それぞれが自由と自己責任を

持った人であれるように。

このブログが、誰かの

内なる“選ぶ力”を尊ぶきっかけになれば幸いです。



そして、あらかじめお伝えしておきますと──


今後このブログは、

ますますディープに、

お下品な方向にも進化(退化?)する

予感があります。


わたしの中の“スピりっちゃるリテラシー警備隊”も日々警戒を強めています。

もしかしたら一部はクローズドにしていくかもしれません。(今の時代に可能性を狭めるような情報発信の仕方は残念ですが)それは、かつて身体が弱々だった、あの頃のわたしのような誰かのために。


無理にでも届かせるのではなく、選びとってもらうために。


どうか、あなた自身の自由なタイミングで。

自分の内なるセンサーで。

心地よく風が吹いたその日に、

またここで出会えますように。


ヌコ氏はだいたいこんな顔なんですが、人間をどう見つめているのでしょうか?ネコ界ではどうなのでしょうか?

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