む、蒸し暑い。なんで?
この前、青写真センターに電凸した時に、「はいはい、わかりました、えーえー。」「こっちも全力サポート中でございます」みたいに終わったんだけど、じゃあ、なぜ電凸するほど黙っていられなかったかというと、舞台装置のエレメンタルエネルギーの増幅が閾値を激超えしてて…
もうお腹いっぱい過ぎてだったから…
世界舞台装置のエレメンタルエネルギー≒陰謀を操る側のエネルギー(と見るとして…)
陰謀を操る側のエネルギー構造は、宇宙的・霊的な視点から見ると、非常に偏った元素構成をしている。彼らの思考や戦略は、単に知的で冷徹なものというだけではなく、「どのエレメントを抑制し」「どのエレメントを肥大させているか」が、全体の振る舞いに強く反映されている。まず、彼らは「火」のエネルギーを極端に肥大させている。火は本来、意志、推進力、創造的破壊の力だが、
これが過剰になると
支配欲、命令、暴力的な管理システムとして表れる。
野望や操作欲、戦略的思考が強くなり、「燃やし尽くす」力が“命の流れ”よりも優先される。
つぎに「風」のエネルギー。これは情報、言語、計画、思考の領域であり、風は知恵や創造的アイデアの源泉だが、
これが過剰になると
情報の断片化、分断、誤誘導、フェイクと真実の混在操作など風が“つながる力”ではなく、“裂く力”として使われている。
風のシャドウ面(影の側)であり、彼らはこの風を極度に知的・冷徹な方向へ偏らせている。
つぎに「地」のエネルギー「地」は制度、物質、形、枠組みを司る。法律、経済、教育、医療、軍事、宗教すべてが「地」のエネルギーによって構造化され、秩序と定められている。
これが過剰になると
秩序を超えて「コントロール」へと変化し、魂の自由な運動を抑え込み、命の流動性を失わせる。
彼らはこのエネルギーも過剰に利用している。
そして、最も欠如しているのが「水」のエネルギーである。
水とは、感情、共感、優しさ、癒し、母性、
涙といった生命の共鳴そのものだ。
陰謀を設計する側は、この水の共鳴システムを
“無駄”と見なし、あるいは“危険”と見なしている。
なぜなら
水は“他者の痛み”を感受し、思考では動かせない「命の連帯」を生むからである。
そして、次に抑制度が高いのが「エーテル(空や気)」のエネルギーである。
エーテルは神(創造の源の原理原則各種)とつながる力。
それは霊的中心軸、宇宙と個を結ぶ
ゼロポイントの領域である。
それは彼らの作った偏った構造を超越してしまう。
「エーテル(空)」のエネルギーも、彼ら
にとっては抑制・遮断すべき対象である。
だからこそ
スピリチュアルや宗教の世界ですら、彼らは“模倣したエーテル”──つまり人工的な覚醒や救済を
演出する“偽の霊性”で満たしてきた。
つまり
彼らは、火と風と地を過剰に用い、水とエーテルを欠如させることで、
火と風と地>水とエーテル
となり
「命の共鳴構造」ではなく、「命の制御構造」を生み出している。
これは宇宙の自然な五大エレメントの循環バランスを意図的に崩し、人間を“操作可能な装置”
として再構築する設計思想に近い。
波動的には
彼らのエネルギーは冷たく、直線的で、断絶的である。まるで金属音や人工音響のように、人間の魂に響かないのに、脳や感情を刺激するだけの“高知能型の低周波数”である。
それは一見ハイスペックに
見えるが、実際には“命の波形”とは合致していない。
霊的視点から見れば
彼らはアーリマン的知性に強く傾き、ルシフェル的虚構の光も一部含み、神聖幾何学の螺旋構造ではなく、平面的な支配グリッドで世界を管理しようとしている。
それは創造ではなく、複製であり、模倣であり、制御である。
このような偏った構造を解消するために
人間が自らの「いのちの意志」として
「水」と「エーテル」を取り戻す必要がある。
水とは感情の肯定、共鳴、痛みに対する共感、そして赦し。エーテルとは祈り、沈黙、ゼロポイント、神との直接回路である。
舞台装置を舞台装置の中から解消するための主人公だと気がついた人とは?
共鳴によって目覚め、祈りによって宇宙秩序とつながる“自由な魂たち”である。その魂たちは、操作されない。なぜなら彼らの中心には「自ら選んだ神の意志」があるからである。
そしてここでひとつもっとも大切な視点陰謀的にみえる彼らは“悪”ではない。
彼らは“コインの裏側”であり、
裏という概念そのものも、
私たちの卑近な意識が
ラベルを貼ったに過ぎない。
このコイン──つまり「二極の存在構造」自体が、統合された世界の中で機能している。
その意味で、彼らの存在は“反対性”を演じているに過ぎず、片面ではない。コインの表とは、真実や愛や神の意志そのものかもしれないが、大事なのは、「表か裏か」という軸に囚われることではなく、
“コインというものが存在するには、両面が必要”だという真理を思い出すこと。A面B面のどちらかがあなたで、それがこの世界の在り方でもあるということ。

