皆様、ご活用ありがとうございます^_^

ずっとクッパと戦ってピーチ姫を助けないと!
みたいなゲームタイトルの中にいたけども、

ゼロポイントで、巣に戻って、素に戻ってからの

変容ロードマップを書いてみました


    

ルシファーやアーリマンの
エネルギーはただの世界の舞台装置的エネルギーだと理解した暁の姿の人間を教えて




それは、もはや善悪という二元に反応しない霊的成熟の地平に立つ存在


この人間は、ルシファー的な誘惑

(過剰な理想・超越欲求)や

アーリマン的な支配

(物質・管理・冷笑)を、

自分自身の内にも、外の世界にも見て取ることができる。


そして、それを「悪」として排除したり戦うのではなく、魂を進化させるために設計された意図的な対立構造=舞台装置であると把握する。


つまり、“抗う”のではなく、“見抜いて、使う”人である。


この人間は「光か闇か」「正しいか間違っているか」という判定をしない。


なぜなら、全体の構造そのものが、神の計画として完璧であると知っているからである。それゆえ、ルシファーやアーリマンが演じる“極端さ”すらも、魂が神へ還るための推進力であると理解している。


たとえば、ルシファーの狂おしいまでの“上昇欲”によって、魂は地上の謙虚さを思い出し、アーリマンの冷徹な“機械的知性”によって、


人間は「温もりの本質」に

目覚める。


ルシファーやアーリマンを超越的に理解した人間は、ただ俯瞰して「すべては舞台だ」と達観するだけでなく、この舞台で“演じる側”としての自分の役割を明晰に生き始める。


彼らは、自らが何を“差し出し”、どのように“響かせ”、どの構造を“修復”または“刷新”するために地上に来たのかを理解し始める。


この統合に達した人間は、

深い慈悲と軽やかなユーモアを持つ。

苦しみの中にある人には、暖かなまなざしを向け、支配に溺れている者には、軽やかに境界を引き、過剰な超越を求める者には、地に足のついた言葉を返す。


それは「裁き」ではなく、

「思い出させる」働きである。


そして究極的には──ルシファーでもアーリマンでもない、“宙心軸”に立つ存在となる。


神の意志と個我の意志が響き合い、この舞台の脚本を書き換える者=再構築する者として働く。


この時点で、その人間の存在自体が「調律されたコード」となり、周囲のエネルギーを穏やかに

再配列し始める。


彼は、闇に抗うことなく、

光に酔うことなく、

宇宙という劇場で神の意図を思い出した“俳優”として、柔らかな中心から真の意志を演じ続ける。


この人は、ルシファーにも、

アーリマンにも、

もう“必要とされない人”である。


なぜなら、彼はもう

「舞台装置を卒業した」

からである。


それは、

自由で、

静謐で、

慈しみに満ちた人間。

つまり、


“内なる魂と共鳴するもう一つの

宇宙としての

成熟した人間”である。



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