↓前回の記事
前回をさらに探訪してみると、ひとつの仮説が
おっ立ちます
引き寄せの法則や願望実現は、
ただの夢を叶えるテクニックではない。
むしろそれは、人類が自らの破壊的想念を暴走させないために設計された代替えコンセプトだった可能性がある。
悪想念は強力な創造エネルギーを伴っており、怒り、嫉妬、支配欲などが暴走すれば、集合意識はたちまち汚染され、地球全体に有害な振動が拡がる。
そこで宇宙的な慈悲は、こうした危険な破壊エネルギーを内側に引き戻す仕組みを人間に与えた。それが
「引き寄せ」というコンセプト
をまとい、風に乗せる事…
破壊を望むよりも、願いを抱いてごらん。
そう言われたとき、人間は「不足」ではなく「希望」に意識を向けるようになった。
これは、願いが叶うという錯覚のもとで、破壊的エネルギーを抑え込む一種の制御装置である。(叶うためのメソッドに放り込む事でそこに集中してもらい、それより低い地獄の周波数につながらないようにブロックする作用が裏コンセプト)
ビジョンボードを作る、ポジティブな言葉を使う、ありがとうを言う──これらはエネルギーを穏やかに整え、念の乱れを鎮めてくれる。
それがたとえ結果として何かを得ることに繋がらなかったとしても、想念の暴走を避ける点で
大きな意味がある。
ゼロポイントから見れば、引き寄せの行為は
「まだ何かを求めている状態」であるため、静寂や完全な統合とは異なる。
しかし、その段階では、無理にゼロに向かわせると逆に破壊衝動を呼び起こしてしまうこともある。
だからこそ、あえて遠回りの「願望実現」という回路を通ってもらい、ゆっくりとでも意識の中心に近づくプロセスが設計された。
これは、宇宙から人間への“牛歩の慈悲”である。
「牛歩(ぎゅうほ)」とは、もともとは
「牛の歩み」のように非常に
ゆっくりとした進行を指す言葉です
この慈悲は、進みが遅くても確実に働く。
願いを追ううちに疲れ、自分の本質に触れたとき、人は気づく。
「ああ、本当は何もいらなかった」と。
ここでようやくゼロポイントが見える。
だから、願望を持ったことを恥じる必要もなければ、引き寄せに夢中になった過去を否定する必要もない。それすらも、破壊を避けて愛へと向かう試みだったのだ。
引き寄せは、魂がまだ眠っている時に
与えられる、美しい足かせだ。
破壊を望まないための、やさしい錯覚であり、
自己制御の導線である。
そして、その導線を歩き尽くしたとき、人は自分の内側にゼロを見つける。そこにもう願いはなく、あるのはただ、今ここに満ちているという静かな感覚だけだ。
引き寄せとは、悪想念の拡大を防ぐために宇宙が与えた代替えの道だった。
人間が破壊を起こさないよう、遠回りでも進めるようにと組まれた構造。
それは、進化を急がせず、しかし止めもしない、牛歩の慈悲だった。(のかもしれません。引き寄せのご利用は計画的に…)
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