立ち止まるだけでいい、が、わからないからループする


立ち止まるだけでいい──

そう言われても、多くの人はわからない。

それは、「何かをしていないと不安」だからだ。


動いていれば安心する。

変化していれば成長している気がする。

セッションを受けていれば目覚めているような気がする。講座を受けていれば整ってきた気がする。


「今ここにいる」だけでは、心が空白になる。

だから埋めたくなる。

情報で、言葉で、次の学びで、誰かの光で。


この「埋めたくなる」という衝動こそが、

スピリチュアルギミックの入り口だ。


“変わりたい”という願いが、

“何かをしなければ変われない”という焦りにすり替わる。

そして「変えてくれそうな誰か」「何かを感じさせてくれる場」「意味ありげな構造」に手を伸ばしてしまう。


それが、ギミックループの構造だ。 


本当の変容は、

動きの中ではなく、

“動かないことに耐える”静けさの中にしかない。


だからこそ、

「立ち止まるだけでいい」は、


最もやさしくて、

最も厳しい真実だ。


ただ立ち止まり、

何も足さず、

何も求めず、

自分の呼吸とともに座るという行為が、


この時代においてはもっとも稀少で、もっとも霊的な行為なのだ。


でも、それができないからこそ、

人はまた次の鍵を求め、また次のアチューメントに惹かれ、「今度こそ本物」を繰り返してしまう。


立ち止まれないことで、ギミックは動き続ける。

「今ここにいるだけでいい」がわからない限り、

ギミックループは止まらない。


だって動く衝動も含めて【いのち】ですから


と、まぁ、さもギミックでっせ!と

霊的アウトソーシングの欺瞞を見てやったり!

みたいに書いていますが…


私こそ長い転生で

動物のように

時に獣のように

動き回ることでしか

立ち止まる事の真の意味を

知る事が出来なかった1人です。


だからこそ、「誰よりも動きまわりたい!」という衝動の正体を知っています。


変わるために、癒えるために、何かに繋がるために、とにかく動き続けたくなるあの切実さを、わたしはよく知っています。


だから、これを“わかった者”として上から目線で

語りたいのではなく、


人間として生きる命の仲間として、

ただその経験を分かち合いたいのです。


最後に──預けるな。感じろ。戻れ。 


もういい。

誰かの宇宙じゃなくて、自分の呼吸に戻ってこい。

派手な言葉じゃなくて、自分の違和感に従え。

未来の神じゃなくて、“今ここ”の自分を愛せ。


霊性は、誰にも預けては

いけない。

神は、あなたを通してしか、

この世界と触れ合えない

だから


私が見つけた13の鍵とは何だろう…と日々思うのです。

それは、たぶんスピリチュアルギミックではなく、


ともに響きあう感覚です。

ともに内なる神を思い出す振動です。

ともに沈黙の奥を見つめるまなざしです。

ともに歩くための灯りです。

ともに迷い、ともに還っていく道しるべです。

ともに開かれていく旅の構造です。

ともにこの世界を祈りなおす構造です。

ともに存在を紡ぎなおす霊的言語です。

ともに“今ここ”を神殿化する行為です。

ともに沈んでともに浮かぶ、霊の呼吸です。

ともに開いて、ともに壊していく、

光と影の交響です。

ともに聴こえないものを聴きとる、

静かな鍵盤です。


そんな感じです^_^