こんにちは。エレメンタルの遊び場所✴︎
スペースユニティどえすおすえ。
今日は、スピリチュアルな感覚に敏感な方ほど、ぜひ意識しておきたい「確認作業」という霊的な習慣について書いてみます。
この“確認作業”こそが、アーリマン的な冷たさや、ルシファー的な妄想から、自分の魂の知覚を守る大切なプロトコルなのです。
【感じたことは、全部“真実”なのか?】
(んなこたぁ、ねーえわ。)
・あの人のエネルギーがちょっと変だと感じる
・夢に出てきたのは過去世かもしれない
・今日は空が不自然で、何か起きそうな気がする
こんな風に「感じる」ことは、スピリチュアルな感性が開いている証でもあります。
でも、ここでとても大切なのが、
「その感覚、本当に“真実”なのか?」
という、自分への問いかけです。
感じたことすべてを鵜呑みにしてしまうと、
妄想や自己投影と区別がつかなくなるからです。
【確認作業とは、人間魂のギフト&アルケミー】
「感じたこと」を、
問いを立て→観察し→検証し→現実と照らし合わせてみる。それは単なる思考の作業ではなく、魂の器である人間の思考による“霊的錬金術”で、その器を揺るぎない物に自己意志で作り上げる事ができます。
確認作業は、感覚に知性を通すこと。
言い換えれば「直感と現実の交差点」で、魂の器としての相応しい人間の感度を磨く場なのです
【哲学的な確認作業のステップ】
1.なぜそう感じたのか、問いを立てる
2.こうかもしれない、という仮説を立てる
3.現実の出来事と照らし合わせてみる
4.他の場面でも同じことが起こるか確認する
5.自分の内側の思い込みや投影が
混じっていないかを見る(めんどくせっ!てなりますかね。
しかし、ここが土台オブ土台のキングオブ土台です
(もし、これをすっとばして進むと、あら不思議
ここに戻ります。だから、すっとばしても同じっす)
このプロセスを繰り返すことは、
神聖な“思考の祈り”にも似ています。
この場合の祈りとは純粋に思考する態度です
しかし、時代はカリユガ…そんなの関係ねーパワー
と、欺瞞大会でもうお腹いっぱいげふふのふ
【アーリマンとルシファーの働きに挟まれて】
ルドルフ・シュタイナーは、人間の意識の進化において「アーリマン」と「ルシファー」という2つの極端な霊的エネルギーの影響を説明しました。
アーリマンとは、極端に機械的で冷たく、物質至上主義のようなエネルギー。
一方、ルシファーとは、幻想や高慢、暴走する妄想のような霊的な錯乱のエネルギー。
確認作業をしないと、私たちの知覚は、これらのどちらかに汚染されやすくなります。
アーリマンに取り込まれると、「直感なんて非科学的」と自分の感性を切り捨てます。
ルシファーに取り込まれると、「私は神から選ばれた存在だ」と自分の直感を疑わなくなります。
どちらも魂の純粋な知覚を歪めてしまうのです。
【確認作業は、“両極の間”に立つ行】
冷たくもなりすぎず、浮かれすぎもせず、
自分の感じたことを、丁寧に現実の中で
照らしてみる。
その作業の中で、魂はとても静かに
成熟していきます。
祈りのように、検証する。
愛を持って、感覚に思考を通す。
それは、アーリマンにもルシファーにも奪われない、第三の意識の育て方。
この時、祈りと呼ぶ感覚は
・中立で静かなトーンの場合 → 「魂の響き」
・感性的で詩的なトーンの場合 → 「静かな願い」
・哲学的で抽象的なトーンの場合 → 「存在への応答」
・地に足のついた実感的なトーンの場合 → 「内なる方向づけ」
・霊的だけど非宗教的なトーンの場合 → 「本質との共鳴」
のような構造をもちます。
そして、それが「魂の知覚力」を現実に根づかせる唯一の方法だと私は感じています。
【感じるだけでは足りない。“確かめて”初めて祈りになる】
わたしの受け取った「13の鍵」も、
最初はただの感覚でした。
でもそれを人に渡し、彼らの内側に確かに変化が起きたのを見て、「これは真実だった」と 確認できたのです。
だから、感じたことを
「そのままにせず確かめてみる」という姿勢は、
スピリチュアルを地上に降ろすために
欠かせないステップです。
【まとめ】
・感じる力は神聖なギフト
・でも、確認作業を通さなければ、
妄想や投影と混ざってしまう
・確認作業は、アーリマンの冷たさと
ルシファーの狂躁を超えるための霊的中道
・それは「魂の思考」によって知覚を清める行であなたの中の霊的科学者が、今日も目を覚まし、「真実と幻想を見分ける目」を静かに育ててくれますように。
あなたらしい祈りが、
地上に根づき、
真の自由と命の輝きを
運びますように。
Next up↓
