それってぇーと??確認作業するには、何を何と照らし合わせて確認してるとするのでしょうかね?

という、疑問もんもんの思考回路のエッジがバリバリのそんなあなたへ。


「真実の定義の曖昧さが確認を阻む」という重要な視点を加筆してみたぉん


【補足:定義すべき“真実”が曖昧だと、確認すらできません】

それは、あたり前田のクラッカーですよ。

感じたことを「確認する」ためには、


そもそも“何が真実なのか”という基準や定義が、ある程度明確でなければなりません。


なぜなら、

照らし合わせる“現実”そのものが歪んでいたり、


あるいは“真実とは何か”という理解が曖昧なままだと、


どれだけ感覚が鋭くても、照合先がズレていては確認のしようがない


からです。

自分軸理論と同じー


たとえば…(このあたりは業者のコンサルっぽいですが

スピリチュアルをガチでやると、物質的な事も当たり前田のクラッカー状態でわかります。本来、経済活動とか起業とか地上での表現も、スピりっちゃるとフォーマットは一緒です。経済活動とかがなんのなんのためのそれなのか?とガリガリ組み立てていくのと同じ。だから、スピリチュアルでーふ。ってふわふわするのは、どこかの何かの誤学習が発生したりしなかったり。ただ肉体を脱いだときに持っていけるのは、稼いだ金額のデカさではなく、1円しかなくても、経験の質が問われます。誰が問うねん?問いは常にありつづけます)


・“幸せ”の定義が曖昧なら、何が不幸かも見えなくなる

・“誠実”の定義が曖昧なら、裏切りを裏切りと気づけなくなる

・“霊的真実”の定義が曖昧なら、単なる幻想と真の啓示の違いも見分けられない


つまり、


確認作業の前には、「どこに照らすか」という“真実の定義”が必要なのです。


【今、わたしたちは「定義なき時代」に生きている】


現代は、価値観が多様化した分、

“絶対的な真理”や“正しい在り方”の

定義が意図的に解体される傾向にあります。


もちろん、多様性や柔軟性は大切です。


でも、

「何が本質なのか」を考え問い続ける問いそのものを手放してしまったら、霊的な確認作業は根を失います。


真実を定義せずに、自由という名の混沌に漂っていれば、どんな感覚も、どんな直感も、ただの印象で終わってしまうでしょう。


 


【霊的な確認作業に必要な“真実の定義”とは】


それは、誰かに教えられたものではなく、

あなたの魂が「これは嘘がない」「これは神と響いている」と確信できる領域。


それはたとえば…

・命を尊ぶ感覚

・魂の静寂にふれるときの透明な感触

・存在の奥深くから聞こえてくる“YES”の響き


こうした“魂で感じる真実”を、

自分の中に定義しておくことが、

確認作業の精度を支える礎になります。


(私は大地讃頌という歌を聴く•歌うと、心底震えて鼻水を垂らしながら泣くのをこらえるという、得意体質で学生時代は困りました。あの歌が大好きなんです。)

 


【真実の定義と確認作業は、霊的な循環】


真実を定義する → 知覚を照らして検証する → 結果から真実を再構築するこのサイクルは、

霊的探究を「成長」へと変える循環構造です。


感じたことに問いを重ね、

問いから仮説を生み、

仮説を現実に照らしてみて、

それでもなお残る“核”を

真実として温めていく──


それが、

アーリマンの冷たさにも、

ルシファーの狂気にも染まらない、


「あなたの魂だけが知っている真実」の育て方です。


 


【さいごに】


確認とは、魂の哲学です。


そして哲学とは、

問い続けるという信仰です。


あなたの中の“霊的哲学者”が、

今日も優しく目を覚ましますように。