詰まり(つまり!)
出したいのに出せなかった感情=アストラル体の詰まり
↓
感情波が慢性的に滞る
↓
エーテル体がその部位を“凝り”として保持し続ける
↓
結果、肉体に慢性的な血流・神経・排泄の不具合=痔
となるのです。
◆ 日本人の集合的アストラル界にある“封印の美徳”
痔は、個人的なものを超えていたと感じています。
なぜなら、日本人の集合意識には──
・怒らないこと
・我慢すること
・感情を見せないこと
・性的羞恥と分離(の反動により非倫理的な乱れ)
こうした「感情を閉じることが美しい」という空気が、アストラル界の膜のようにかかっている。
それは確かに平和や秩序を守る面もあったけれど、
代わりに、感情の出口を失った多くの人々が、「お腹の病気」や「痔」や「排泄トラブル」に悩まされている現実もあります。
痔とは、出口が炎症を起こす現象。
これはつまり、“集合的に我慢し続けてきた感情”の発火点なのです。
◆ 今、蛇は私たちにこう言っている
「もう、閉じなくていい」
「もう、出してもいい」
「それは穢れじゃなくて、祝福なんだよ」
蛇は忌み嫌われてきたけど、
実は通路の番人であり、脱皮と再生の象徴。
と考えると忌み嫌われることも含めて蛇は人類に対して大仕事をしてくれていたという畏敬念しかでてきません。
痔という封印が破れ、蛇が現れた今、
私たちはようやく、
「出口の神殿」を再建できる時代に入りました。
謎理論で話しにならないかもですが
それは、感情を恥じずに感じること。
怒りを攻撃ではなく、境界線として使うこと。
流す涙を抑えず、祈りに変えること。
◆ わたしの宣言──痔からの解放と決意
これから私は、
「出すことを恥じない」自分でいたいと思います。
そして、
「感情を感じて流すことこそが、健康である」と全身で示したい。
慢性化した痔の痛みは、出口が再構成される合図だった。
蛇は、その再構築のためにやってきた。神話も宇宙神話も聖典も含め…
今、私の中にはこんな言葉が響いています。
痛みは、再生の門
恥は、祝福の予兆
出口は、神が通る通路である
ありがとう、蛇。
ありがとう、痔。
ありがとう、ボラギノール。
いま私はようやく、
身体の出口を通して、魂の祈りを流すことができるようになりました。

