はい、今日はちょっと踏み込んだ話をします。(前出のスピンオフ的な)
というのも、「痔」と「蛇」について。
どちらもどこか口にしづらく、忌み避けられている存在ですが、
この2つが私の人生で直結した出来事があったのです。あったと、いうか今リアルタイム遭遇。写真を載せたい気持ちもありますが、蛇が怖い人に配慮して…今回は
イラスト屋さんの蛇を↓
ガチャピン風へび
でー
「我こそは痔主である!」という召喚ブログをさっき上げたのですが
私はこのありがたい苦しみを通して、
身体の出口にある“通路”と、魂の再構成の道を見出しました。
◆ 出口の痛みは、ただの病気じゃない
痔という現象。(しつこい)
医療的には「肛門周辺の炎症や血管の腫れ」で片付けられるけれど、
スピリチュアル的には、それは“出口の封印”が壊れかけているサインでした。
私にとっての肛門とは、
ただの排泄器官ではなく──
怒り、悲しみ、羞恥、性、信頼といった、魂の深層にある“本音の流路”だった。
でも、その出口は長らく塞がれていました。
・感情を飲み込む
・怒りを見せない
・出すことを恥じる
・「汚い」と教えられてきた部位への嫌悪
そのすべてが蓄積されて、
ついに身体が「これ以上、封じられない」と悲鳴を上げてきた。
それが主にとっての“痔”だったのです。
◆ そのとき現れた蛇──封印を開く者として
そんなある日って言うかさっき、2025/6/9の時はたぶん13:00
息子から夕飯は餃子100個作って!という無茶振りミッションのために、チャリで買い物へ…
自宅の近くのいつもの道で、蛇に遭遇しました。
目の前を優雅に横切るその姿を追いながら写真に収めました。
その瞬間、直感しました。
あ、これは“出口の守り神”だ。
神道や古代信仰において、蛇は水・再生・脱皮・地の知恵を象徴する存在。
また、日本では“ウカノミタマ(稲荷神)”や“弁財天”の使いとして知られ、
洞窟や泉、つまり通路や入口・出口に棲む存在とされてきました。
この蛇は、まさに
主体の“出口=肛門”に溜まっていたものを脱がせ、流す者。
痔の痛みは、魂の脱皮だった。(カルト思想丸出しの感想ではない)
それに気づいた瞬間、
私の中で“痛み”が“祈り”に変わったのです。
◆ 痔という封印と、アストラル体・エーテル体の視点
スピリチュアルな身体構造において、
「アストラル体」は感情の層、
「エーテル体」は肉体の型となるエネルギーの層です。
怒りや恥といった感情の“波”がアストラル体で滞ると、
それが下層のエーテル体に圧をかけ、
本来の肉体調整機能を歪めていきます。
つまり──(おさらい的な)
またつづく^_^

