続きを爆書きします。
次元を高い低いという比較ではなく
それぞれの次元に現象界を形成する意味があり、
高けりゃいい
とか
低けりゃだめ
とかでは全くありません。
ミジンコより人間の方が高次元の存在
だから、ミジンコより…
というのは
単なる思想で、
その単なる思想から
飛び出すと、何がいいかとゆーとー
えーとー、、
みんなと真に仲良くなります。
友達100人できるとかではなく、
いろいろな世界観が混ざり合っているだけで
それを観照する側の貴方になれば、反発したり
否定したりする事にはあまり意味を見出せなく
なるからです。シンプルにいうと
分離感の無い融和を保った自己成長。
まるっと全てを抱きしめると、
人間に生まれて良かったー!!と
なるとかならないとか。
ここから、「次元」が高い・低いという上下構造でなく、重なり・包摂・視点の拡張であることを、一輪の花を通して説明します。一輪の花から見る「次元」の違い
🟢 3次元:花が〈そこに在る〉
- 花は物理的に「そこにある」
- 形、色、香り、大きさが見えて、触れることができる
- 花瓶に生ける、写真を撮る、育てる、摘む、などの行為ができる
- 物質としての「存在」や関係性の世界
➡️「この花、きれいだね」「庭に咲いている」「切り花として飾ろう」など
→ これは空間と時間に沿った、観察と操作の世界
🔵 4次元:花が〈時間を帯びている〉
- その花は「いつからそこに咲いているのか」
- 蕾だった昨日、咲いている今日、やがて枯れる明日
- 花の一生や、その成長のプロセスを見る
- 花が咲いた理由(種、水、太陽、風)との時間的な連関
- 記憶・感情・変化の流れを伴った「物語のある存在」
➡️「この花、去年の春にも咲いたな」「母が好きだった花だ」
→ 花を見て思い出す、感じる、つながる
→ 時間を含んだ“生きた存在”として見る
🟣 5次元:花の〈意味と意図〉
- 花がその場所に咲いていることの「意味」や「必然性」に気づく
- なぜ今、このタイミングで、私の目の前に咲いているのか?
- 花が私に何かを教えようとしている、という対話感覚
- 花を介して、宇宙・自然・神との「交信」を感じる
- 意識の創造性と共鳴に基づく“共時的な次元”
➡️「この花が、私に何かを伝えているように感じる」
→ その花が**単なるモノではなく、“意図された存在”**になる
→ 現象の背後にある“光の設計”を感じ始める
🟡 6次元:花が〈象徴である〉
- 花は「花」という物質を超えて、何かの象徴・コードになっている
- たとえば「愛」「再生」「死と再誕」など
- その花を見た瞬間、自分の内なる世界が動く(夢・祈り・想念)
- 花はあなた自身の「内なる宇宙の写し」として現れている
- 集合意識や魂の層との接続、象徴言語の次元
➡️「この花は私の魂の一部かもしれない」
→ 花の“霊的構造”に触れ、自分の在り方が変わる
→ 内と外が完全に重なり合い、“意味そのもの”が立ち上がる世界
🔴 7次元:花は〈神の現れ〉
- 花はもう「花である必要」がない
- 花は、神、愛、意識そのものの「投影」であるとわかる
- 花も私も宇宙も、同じ源から生まれた「ひとつなる光の変容」
- あなたが花を見ているのではなく、花があなたを見ている
- 創造主の愛と智慧が、形を変えてそこに“在る”だけ
➡️「この花は、神がこの地上に一度咲かせた、光の現象だ」
→ 花の“外”も“中”もない。ただ存在そのものの賛美
🌈 まとめ
次元は「上に昇る階段」ではありません。
**同じ存在を、どれほど深く、広く、内的に見ることができるかという“意識の解像度”**です。特に4次元と5次元の観照意識は
精神の層からの意識が大変強まります。
しかし
花はずっと変わらない。
変わるのは、
あなたの目と魂の光の届き方です。
皆さんは自然界からの贈り物の
花をどのような意識で
眺めますか^_^その3へつづく

