いつもの梨楓ちゃんとの

何気ないやりとりから…







私にあったのは

叱られたくない、ではなく叱られたい




ドMだから

って理由ではなく

きっと根っこがあるはず…

そう感じて

ひとりで内観していました




叱られたい心理もきっとある

調べてみると二つの理由があった




やっぱり、、

私の根っこにはまだ愛着問題が片付いてない




そして

人の何気ない反応に

私はまだ混乱しているのだ

素の自分でいる時ほど、そうなってしまう




素直になれないのは

どんな反応が正しいか考えてしまうから




そして

その反応が間違っているのが怖いから

最初から、可愛げのない反応をして

嫌われても仕方がない態度をとってしまう




嫌われるのが怖い

と言いながら




寄り添ってもらえなかった時が怖いから

最初からダメだった予想をして

ほらね、と自分を守りたいのだ




それ以上傷つかなくて済むように




自分で予想できる傷を先に作って逃げるのだ




そして

それ以上に無関心や無視が怖いと気づいた




攻撃されたら反撃や守りに入れる

だけど無関心でスルーされると

反撃や守りも選択できない




すごく不安が襲う

このまま、見捨てられる気が気がするのだ




愛されたい、嫌われたくない、ひとりにしないで

それよりも本当は

無関心(無視)が何よりも怖いのだ




だから私にしたら

喧嘩できることは幸せである

喧嘩しても

自分の考えを伝えてくれ

ぶつかってくれることは

その瞬間、私に意識が向いているから嬉しい




だから

喧嘩になりそうなこと

相手を怒らせるようなことをしてしまう

その反応で愛を測ってしまうのだ




あー、あなたはそうなんですね

もう、私と違うからいいです




それが一番怖い




本当はこう言えば可愛いのに

わかっていて

わざわざ、指摘や叱られることを伝えてしまうのだ

言葉に選んで口にしてしまうのだ

無意識で…




両親が離婚する際

『りえはいらない。』

その一言がいまだに頭から消せない




私が存在する理由はないんだ

そんな風に思った




小学生の時も

はないちもんめ

体育のペア

バスの座席

いつもひとりだった、いつも残される




誰にもいらない、と思われること

誰からも関心がない、とわかること




きっと

当時の小さな世界の出来事で




オトナになった私ならわかるのだけど

世界はまだまだ広くて

私を愛してくれる人もいて




でも

当時の私はまだ癒されてないんだな

だからふとした瞬間に

こうして顔を出すのだろう




わたしが

私に関わってくれた人に

私はここにいるよ

あなたをずっと見てるよ




そう言い続けるのもきっと

私の中に眠っていた

小さな私に向けて

ずっと伝えたかった言葉だからなんだろうな




ようやく

私の中の小さな私を見つけ出したよ




おかえり

あの時の傷ついたままの私







大丈夫

その傷ついた心ごと

今の私が受け止めてあげる




世界には

私を愛してくれる人もいること

ちゃんと、あなたにも見せてあげるからね




あの頃のわたしを

今の私がいちばんに安心させてあげるからね

待っててね






こんなメッセージをいただきました

私の内観で

こんな風に受け取ってもらえたことが

また、幸せです

ありがとうございます





マヤ暦アドバイザー

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