さあ、いよいよ子育て編!


中学2年生になった息子にも、
私の呪い(コントロール)がなくなると
みるみる軽やかになり自信を持ち始めました。


さて、これまでの自己紹介からわかるように
『愛されたい』に気づかないまま
『誰かのために生きてきた』わたしには
息子の誕生により
その思いをさらに、加速させていきました。


保育士で働いていた時代も長く。
そこでも無意識に刷り込まれていました。


『あの子、かわいそう』
『あのお母さん、ひどい』
『あのお父さん、子育てに興味ない』など。。


保育士の大先輩たちの言葉を、全て鵜呑みにします
些細なことでその会話は始まります。
朝の登園姿の乱れ、お弁当の中身、
お迎えに遅れる、忘れ物をする、、
そして、それを自分に置き換えるのでした。


今なら、保育士に心の問題があったとも思います
保育士不足による激務、女性社会、
やりたい保育と園の方針が刷り合わないなど
不満だらけの環境でマウンティングも横行。


その膨れ上がったイライラが
自分の物差し、価値観でジャッジし
その背景を見つめる事をしていませんでした。
先輩が言う事に、歯向かう、意見するなんてできず
自分を守るため、共感し続けていました。


『かわいそうと思われてはいけない
『適当な育児だと思われてはいけない
『父親には積極的に参加してもらわなければ


全てが人の目を気にし、子どもや育児ではなく
『あのお母さん、すごいね』
と、わたしが褒められるために
わたしが人様から見て後ろ指刺されないように
頑張り続けていました。


仕事での立場を失うことも怖く
妊娠中から復帰の枠を掴み取るため
無理をしまくりました。


3か月からしか募集のない保育園。
そのため、託児所を探し出し
生後2か月から仕事に復帰します。


勤務先は保育園ではなく、小売業でしたが、
男性がいる場所でも、休憩所のミニキッチンで
おっぱいを出し、その場で母乳を搾り、流し捨て
それでもあふれ出る母乳が
制服から丸く染み出すほど。。。


母乳パッドに、タオルまで忍ばせ
勤務していました。


良い母親は、夜更かしをさせないと決めつけ
我が子を20時に寝かせるため
16時の勤務を終えてからは必死でした。


その頃の夫は21〜22時帰宅。
朝も早く、土日休みの夫と、平日休みのわたし。
頼れる親も知り合いもおらず
ワンオペは3年間続きました。
そこに元気な愛犬もいます。
しょうがない、出来ることだけでいい、頼ろう
それをインプットできていない私は
全てに全力投球でした。


そして息子が一歳を過ぎると同時に

こうでなければいけない

は大爆発し、どんどん

私が愛されるための育児が始まりました。



そして産後うつに向き合わないまま

(精神科受診は継続していました)

褒められる私でいたいがために

同情してもらう、可哀想な私であり続ける

ことも必須でした。



こんなに大変で、可哀想な私が

頑張っているから褒められる



そう無意識に思い込んでいたからです。

頑張ることも、可哀想でいることも

どちらも手放せませんでした。



ですから、



『みんな、そうだよ』

わたしがいちばん、可哀想なの!!

みんなと同じ、一括りにしないで。

私の話を真剣に聞いて(こっちをみて)!!



『適当、出来ることだけでいいんだよ』

それでは誰かに批判、否定されちゃう!!

頑張るを手放したら、不安な未来しか待っていない

私がダメな人だと思われてしまう!!



『ご主人や両親、義実家を頼ったら?』

私の気持ちをわからない人に頼るなんて無理!!

どうせ言っても叶わない、馬鹿にされる

未来はダメだと決めつけ、やろうとしない



『ゆっくり休んだら?仕事やめたら?』

他人事だと思って、簡単に言うな!!

私の生きる場所、認められる場所がなくなる

なぜ、私だけ手放さないといけないのか!!

リラックスしていたり、楽しんでいる周りや夫に

異常なほどに反応し、腹を立てる



これらは実際の過去のアドバイス。

そして、今の私も育児に関わらず、大概のお悩みに

皆さんに提案していることでもあります。



赤字の部分、これは不安や怒り。

もし、何かに問題を置き換えて、このアドバイスに

できない、やりたくないなどの反発を感じたら。



もしくは何度も、この会話を繰り返していたら

その不安や怒りを解消しないことには

今の状況は変わりません。



ヒステリックな怒り方に変わるまで

時間はかかりませんでした。

明らかに、育児でではなく、

きっかけがそうであって。



溜め込んだ怒りや不安、悲しみが

そのきっかけで、幼い息子へとぶつけてしまい

まるでその姿は

あんなに憎むほど、

殺してやりたいほど大嫌いだった、

亡き父の怒り方とそっくりでした。。。



そして息子は、

私の感情や表情に左右されながら過ごします



傍目にはわからない、完璧な母親。良いお母さん。

育児相談、保育園での面談。

誰にもバレず、ほころびの見えない家庭は

玄関の扉が閉まると、阿鼻叫喚の世界でした。



やがて息子は、年中から斜視と弱視が始まります



完璧を求めていたわたしには

大ショックで、それが認められないのです。



お恥ずかしい話です。

よそのお子さんに偏見もないと思っていたのに

なんら珍しいことでもなく

医療の力で良くなることもわかっているのに

私の中にはジャッジがあったのです



この頃、写真を撮る時には

息子のメガネを外させていました



わたしが、息子に対し

メガネは恥ずかしい、メガネは可愛くない

知らず知らずに植え付けてしまったのです。



そして、そのショックから目を逸らして数ヶ月。



息子のチックが始まりました。



自己紹介編 我が子編

〜息子の心に潜む怒り〜に続きます