12年前の明後日。

 崩れ落ちた町へ行った。 20歳の猿。

 12年前の今夜。
  仕事終わりにいつもの居酒屋へ行くと
 「おい!お前料理できるやろ?
   明後日仕事休んで 手伝え!! 」
 

 12年前の今朝。
  恐ろしいほどの揺れ・・。
  おかんが真っ先に弟の寝てる部屋のタンスの上のモンが
  落ちてこないように支えてた。激しく揺れる中。

 テレビで見た あの高速の崩壊は
  この国の終わりさえ感じた。ほんとに怖かった。


 1日すぎた夜 いつもの居酒屋でカンパ金を払い
  深夜に出発するため 準備。
 そして 3台の車で出発。

 京都を出て 大阪に入ったら
  景色は 徐々に面白いくらいに変化してた。コンクリートがグラデーション。

 何度も警察や自衛隊と口論。
  「通行許可書を!」「通行許可書を!」
  「てめ~ら!こらっ!」「てめ~ら!おらっ!」

 道路もガタガタで ジグザグ運転。

 ビルは傾き あるはずの階がナイ・・。
 住宅も屋根だけが乗っかってる・・。
 5.1サラウンドみたいに サイレンの反響音・・。 
 走る車に すがる目線・・。
 
 到着したのは 西宮の市民体育館。

 早朝4時に トイレの列。
 異臭・・。

 早速テント建てて 準備開始。
 長蛇の列&質問攻め。

 「何時から?」「なにがある?」「あたたかい?」
 「タバコくれ!」「どっから来た?」「はやくしろ!」

 炊き出し開始 
 順番待ちで喧嘩もおきる。
 へんなリーダーも現れ 勝手に俺らに指示を始める。
 しかも そいつが先に飯を要求しやがる。
 みんなもそれぞれ
 「さっきのヤツの方が 魚が大きい!」
 「もっと 暖かいモノ 持って来いよ!」
 「量が少ない!」
 「お前らは もっといい物食うんだろ?」

 1番先にキレた・・。
 「お前ら 生き残れただけでも 感謝しろー・・。」
 「お前ら 生き残れただけで 感謝やろー!!」

 良い事してるのに 辛すぎた・・。
 まだまだ猿は 若すぎた・・。
 でも その時は それしか言えなかった。

 先輩に 涙を拭かれながら
 体育館の裏に連れて行かれた。
 もう 太陽が昇ってた。

 先輩は沢山励ましてくれてたけど
 ペッシャンコの隣の民家の一枚の張り紙をずっと見てた。
 「ここに おじいちゃんが埋まってます おねがいします。」

 まわりを見ると
 涙で文字は見えなかったけど
 各家に 一枚の張り紙が・・・。その中に人が埋まってる・・。
 頭がおかしくなりそうでした。

 自然の猛威
 人間の弱さ
 地球の息吹
 群集の怖さ
 
 もちろん 沢山の感謝の言葉頂きました。
 大切なみかんやお菓子を差し入れてくれました。
 お年寄りが勇敢に見えました。
 いつも 弱そうに見えてたお年寄りが
 いざとなったら 常に笑顔で
 大きく見えた・・。 
 戦争は こんなモンじゃないんでしょうね。。

 あの お爺ちゃん お婆ちゃん
 今も生きてるかな?
 その後 大変だったと聞いてます。
 孤独死したお年寄りが多いと。
 
 あれから 12年・・。
 生まれた子達も 中学生か。
 すごいな~。
 亡くなった六千数百人の希望でいてほしいですね。
 もちろん 俺たちも。