離婚後共同親権の法改正案が国会に提出される令和6年3月になりました。ネット上でも多くの期待の声が飛び交っています。

 

 

 

 

 

 

そのような中で,最近目にするのが離婚後共同親権の法改正案(要綱案)に規定された「監護権の分掌」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

弁護士古賀礼子さんのノート/監護者指定・監護分掌について

 

 

 

 

 

 

 

 

要綱案における「監護者指定・監護分掌」では,新法では,必ず子の監護者を定めることはせず,それを定めるか,もしくは監護分掌とするかについて両親の意見が整わない場合は家裁が定めるとした上で,仮に監護者が指定された場合でも,他方親も,監護及び教育に関する日常の行為を行うことができるものとする,とされています。

 

 

 

 

 

 

 

ここが私は,現在の法律制度における運用と大きく違う点だと思っています。ただ,本当はこの「監護の分掌」は,現在の法律制度でも認められなければならないことなのです。

 

 

 

 

 

 

 

私が現在の法律制度においてとても残念に感じているのは,「離婚後単独親権」なのだから,「離婚後単独養育(単独監護)」なのだろうと皆が思い込んでいるのではないか,という点です。

 

 

 

 

 

 

 

私は,現在の法律制度においても,「離婚後単独親権」はあくまでも例外であり,離婚後も「共同養育(監護分掌)」のはずだと思うのです。離婚はあくまでも両親の関係についてであり,親子の関係は関係がない事柄なのですから,両親が離婚しても,子どもを両親で育てることに,何ら関係がないはずなのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

ところが,元々現在の「離婚後単独親権制度」は,明治憲法時代の家制度において採用された制度です(1896年制定民法)。当時は離婚後子は父が親権者とされていたところを,現在の憲法制定に伴い,離婚後の子の親権者を父と母のいずれかから選べるようにしたわけですが,

 

 

 

 

 

 

 

 

その際に「離婚後単独親権は,あくまでも子についての親権行使についての例外的規定であり,日常的な子の監護養育は離婚後も両親が共同して行う性質のものである」との規定を設けるべきだったように思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

その「立法不作為」が,「離婚後単独親権」は「離婚後単独養育(単独監護)」である,他方親は子の養育や監護に参加できないのだ,という誤った認識を社会に与えてしまったように思うのです。それはまさに,「子の利益」を害する「立法不作為」であったように思います。

 

 

 

 

 

 

 

令和6年3月に国会に提出され,成立後2年以内に施行が予定されている「離婚後共同親権」の法改正では,仮に子の監護者が指定された場合でも,他方親も,子の共同親権者として監護及び教育に関する日常の行為を行うことができることが明記される予定になりました。それを妨げる行為は違法行為となるわけです。

 

 

 

 

 

 

 

子が両親に直接触れ合うことで,子の脳には「オキシトシン」と呼ばれる「愛情ホルモン」が分泌されます。その結果,子は両親と直接触れ合う機会が多ければ多いほど,自己肯定感が高くなり,他者とのコミュニケーション能力も高くなることが分かっています。

 

 

 

 

 

 

 

両親が離婚するという高葛藤な状態にあるからこそ,国が法律制度を創造して,離婚後も両親が子の監護養育を分掌することが保障されること,その結果子ども達の脳には「オキシトシン」がたくさん分泌されることが保障されること,それこそが法律制度の役割であり,国会(国会議員)の役割だと思います。「離婚後共同親権」法改正によりそれが1日も早く実現されることを,心から期待しています。