私が担当させていただいている,東京地裁に係属している,自由面会交流権訴訟について,令和3年4月26日に第2回期日が行われました。

 

 

 

 

自由面会交流権訴訟HP

 

 

 

 

 

第2回期日では,被告である国の主張書面が陳述(主張)されて,次回第3回期日までに,原告ら側での反論を行うことになりました。第3回期日は,令和3年8月16日(月)午後1時30分からです。

 

 

 

 

親と子の自由な面会交流権,さらには祖父母と孫との自由な面会交流権は,諸外国では当然のように基本的人権とされています。「人権とは人が人として生まれたことで当然に有する権利であり,それは国が与えたものではなく,また憲法が与えたものでもない。憲法は,人が有する人権を確認しているにすぎない。」という基本的人権の理念からすると,「人権であること」は,国を超え,文化を超え,言葉を超える普遍的なことであるはずです。その普遍的な「基本的人権であること」が,世界中のただ日本だけで否定されることは,人権理論そのものに反することだと思います。

 

 

 

 

さらに申すと,これも私が担当させていただいた離婚後単独親権制度違憲訴訟における東京地裁令和3年2月17日判決は,以下のように判示しています。東京地裁が判示したように,「親が子を養育することは,親にとっても,子にとっても,人格的な利益であり,それは両親の離婚によっても失われるものではなく,また失われてはならない。」のであれば,現在日本では面会交流権についての具体的法律規定が存在しないことで,子の同居親の意向により別居親と子との面会交流権が制限され,または否定されているのですから,国会(国会議員)には,その「人格的な利益」を「失われてはならない」ように実現するための,具体的な法規定の立法義務があることは明白だと考えています。原告らの主張はこのような内容になる予定です。またご報告いたします。

 

 

 

 

 

東京地裁令和3年2月17日判決

 「親である父又は母による子の養育は,子にとってはもちろん,親にとっても,子に対する単なる養育義務の反射的な効果ではなく,独自の意義を有すものということができ,そのような意味で,子が親から養育を受け、又はこれをすることについてそれぞれ人格的な利益を有すということができる。しかし,これらの人格的な利益と親権との関係についてみると,これらの人格的な利益は,離婚に伴う親権者の指定によって親権を失い,子の監護及び教育をする権利等を失うことにより,当該人格的な利益が一定の範囲で制約され得ることになり,その範囲で親権の帰属及びその行使と関連するものの,親である父と母が離婚をし,その一方が親権者とされた場合であっても,他方の親(非親権者)と子の間も親子であることに変わりがなく,当該人格的な利益は,他方の親(非親権者)にとっても,子にとっても,当然に失われるものではなく,また,失われるべきものでもない。」