私が担当させていただく予定の「自由面会交流権訴訟」など,いわゆる「親子の法律問題」についての一連の憲法裁判について,アメリカの新聞社「ワシントン・ポスト」で,私のインタビューとともに,大きな特集記事として取り上げていただきました。タイトルは,「日本では,離婚は子供へのアクセス権を失うことを意味している。多くの親がそれを変えることを希望している。」です。

 

 

 

 

 

ワシントン・ポスト/日本では,離婚は子供へのアクセス権を失うことを意味している。多くの親がそれを変えることを希望している。

 

 

 

 

 

 

記事では,日本では離婚や離婚前の別居の段階から,子どもと同居していない親は,子どもと会うこと自体ができなくなる場合が多いこと,それは,裁判所が離婚に際して子どもの親権者を決めるに当たり,それまでの監護時間の多い親を優先する傾向があることから,子どもの親権者になることを希望する親が,子どもを連れ去り,相手親が子どもと面会を希望しても子どもとの監護時間を増やしたくないために面会自体を拒否する傾向があるからです。

 

 

 

 

 

そして,現在の日本の法律では,親と子との面会交流権を規定した具体的な法律規定(権利義務規定)が設けられていないために,親権者となれなかった親は,親権者となった親が面会を拒否すると,面会自体をあきらめることを余儀なくされるのです。

 

 

 

 

 

このような日本の面会交流についての実務が,親の権利を侵害しているだけでなく,子どもの権利を侵害していることは明白だと思います。最高裁大法廷平成25年9月4日決定は,非嫡出子の相続分が嫡出子の相続分の2分の1と規定されていた当時の民法900条について,「子どもが自らの意思や努力では変えることができない事柄に基づいて不利益を与えてはならない」旨の判示をしました。その判示からすると,離婚後の子どもの親権者が,子どもの意思や努力では変えることができない親による連れ去りと他方親からの引き離しにより決められることは,子どもにとっての人権侵害に他ならないと思います。

 

 

 

 

 

さらに申すと,その問題は日本の民法が採用する離婚後単独親権制度が引き起こしているものです。諸外国のように離婚後共同親権制度を採用すれば,子どもが他方親から一方的に引き離されることもなく,子どもは両親と面会交流を通して触れ合いながら成長することができるのです。子どもの人権保障という観点からすると,離婚後単独親権制度と,それが生み出している子どもの連れ去りが重大な人権問題であることは明白です。

 

 

 

 

 

付言すると,日本では「一人親」という言葉が使われます。そして,親が離婚した子を「一人親」と呼ぶことが多いです。片親と死別したわけでもないのに,「一人親」と呼ぶのは,現在の民法が離婚後単独親権制度を採用しているからに他ならないのです。

 

 

 

 

 

「一人親」と呼ばれる子どもは,就職や結婚で差別されているのではないか,との指摘もあります。上で引用した最高裁平成25年9月4日決定の判示からすると,「子どもが自らの意思や努力では変えることができない事柄に基づいて不利益を与えてはならない」はずです。子どもには非はないのにさまざまな不利益を与え続けている離婚後単独親権制度は,もう改正が行われなければならない段階にきていると私は思います。ご紹介したワシントン・ポストの記事においても,同趣旨の指摘がされております。ご関心をお持ちの方は,ぜひご覧ください。