昨夜は七夕でしたね。夜空の美しい星を見上げた方も多いのではないでしょうか。私もその1人です。



七夕といいますと,私は仙台の七夕祭りを思い出します。さらに申すと,仙台を舞台にした曲「青葉城恋歌」を思い出すのです。



「青葉城恋歌」は,仙台出身の歌手,さとう宗幸さんの代表曲であり,大ヒット曲ですが,実はその曲は,ほんの小さなきっかけから生まれたものでした。



曲が生まれた1970年代当時,さとうさんはシンガーソングライターとして活動されていたものの,目立ったヒット曲に恵まれない日々が続いていました。



さとうさんは,地元仙台のFM局で番組を持たれていました。そしてその番組には,リスナーの方が手紙で番組に送った詩に,さとうさんが曲をつける,というコーナーが設けられていたのです。



そんなコーナーにリスナーから送られてきたのが「青葉城恋歌」の詩でした。TVのインタビューで当時のことを振り返ったさとうさんは,「詩を見た瞬間に,すらすらと曲が生まれた。不思議な経験だった。」と言われていました。



会ったこともないリスナーとさとうさんとの不思議な出会い。その出会いが「青葉城恋歌」を生んだことになります。



さとうさんは,自分が曲をつけた「青葉城恋歌」を,FM番組のコーナーで歌いました。当初は,1回だけ歌って,それで終わる予定だったそうです。



ところが,そのさとうさんが歌った「青葉城恋歌」に,1人のリスナーから「もう一度聞きたい」というリクエストの手紙が届いたのです。たった1枚のリクエストでしたが,さとうさんはもう一度だけ,と思い,翌週の番組で再度「青葉城恋歌」を歌ったのでした。



すると,その歌声に対して,今度は複数のリクエストが届くようになりました。また歌うと,またリクエストが届きます。



そうやって,「青葉城恋歌」は全国的なヒット曲へと育っていったのだそうです。



1人のシンガーソングライターと1人のリスナーとの不思議な出会い。番組に届いた一編の詩を見たさとうさんが,不思議な感覚の下で書いた曲。



人と人は異なる存在ではありますが,その人が出会い,思いが重なることで,人の心を掴むものを生み出すことができる。そんなエピソードを教えてくれるような誕生秘話のお話だと思います。



当時のことを聞かれたさとうさんのインタビュー番組で,さとうさんは言われていました。「青葉城恋歌」の大ヒットの後,なかなか続くヒット曲が作れなかったさとうさん。



自分は,リスナーとのふれあいの中で生まれた「青葉城恋歌」のヒットだけで終わってしまうのだろうか,とさとうさんは思い,曲のことを忘れようとした時期もあったそうです。



ところが,そんなさとうさんの下に,仙台で働かれているバスガイドの女性から,メッセージが届いたのでした。



それはこんなメッセージです。バスガイドをされている女性が,ある地方から仙台に修学旅行で来られた高校生の方と一緒にバスで街を回ったのだそうです。



そして,いよいよお別れの時となり,最後にバスガイドさんが歌ったのが「青葉城恋歌」だったのです。



すると,その歌声を聞かれていた高校生の方々の多くが,バスの中で泣き出した,というのです。



あまりに感動的なその瞬間の話を,バスガイドの女性は,どうしてもさとうさんに伝えたくて,メッセージを送ったのでした。



そのメッセージを知り,さとうさんは,自分が生み出した曲が持つ,人の心を動かす力に驚かれた,と言われています。



曲は無数に存在するけれども,聞いた人の心を掴み,聞いた人が涙を流し,世代を超えて歌い継がれる曲は,そう多くはありません。



そのような曲には,何があるのだろう,と思います。さとうさんとリスナーとの偶然の出会いによって生まれた「青葉城恋歌」。人の心と人の心がふれあったことで生まれた曲である,ということが,目には見えない何かを生んだような気がしてなりません。



七夕もそうですね。織り姫と彦星が1年に1度だけ大空で出会うことができる日。同じような伝説が,日本だけでなく世界中で語り継がれているのはどうしてだろう,と思います。



言葉が違い,文化が違っても,人が人である以上,夜空に輝く星々に思いを投影し,そこから物語を生んだことが共通していることになります。その物語に込められているメッセージが「出会い」ということは,とても示唆的であるように感じています。



人と人がふれあうこと,異なる存在とふれあうことで,人類は新しいものを,人々の心を掴むものを生み出してきたのです。その大切さを後世の人々に伝えたい,という思いが,古代から現代に至るまで,七夕伝説が世界中で語り継がれている理由のような気がしています。