アガサ・クリスティーさん(1890-1976)は,申すまでもないミステリーの女王と呼ばれる方です。亡くなって40年近くになりますが,現在でも世界中の読者に愛されていて,ミステリー作品の人気投票をすると,必ずアガサ・クリスティーさんの代表作である『そして誰もいなくなった』,『アクロイド殺し』,『オリエント急行の殺人』などが上位にランクインしますね。



そんなアガサ・クリスティーさんの作品に『葬儀を終えて』があります。1953年の作品です。



『葬儀を終えて』のお話は,大富豪アバネシー家の当主であるリチャードの葬儀が終わり,墓地から相続人の人たちが屋敷に戻ってくる場面から始まります。相続の権利を有しているのは,当主の妹と弟,甥に姪,さらにはその配偶者たちです。



相続人に対して,亡くなられた当主の遺言の内容を発表するのが,遺言執行者である弁護士のエントウイッスル氏です。エントウイッスル氏は,歴史と信用を有する法律事務所の共同経営者であり,経験豊富な弁護士です。彼がこのミステリーの語り部となっています。



そのエントウイッスル氏が遺言の内容を発表した直後,事件が起きます。故人である当主リチャードの末妹コーラが,小鳥のように首をかしげて,「だって,リチャードは殺されたんでしょ?」とつぶやいたのです。



騒然とする相続人たち。でも事件はこれだけでは終わりませんでした。その衝撃的な発言をしたコーラ自身が,翌日に殺されてしまったのです。



謎が謎を呼ぶストーリー。当主はコーラがつぶやいたように,本当に殺されたのでしょうか。そして,そのコーラを殺したのは一体誰なのでしょうか。弁護士であり遺言執行者であるエントウイッスル氏が,一歩ずつ謎に迫っていくのです。






私は弁護士になって今年でちょうど10年になります。以前からアメリカの映画で弁護士が登場し,裁判のために真犯人を追う,という作品をよく見ていたこともあり,弁護士になる前にはそんな事件に出会うこともいつかあるのだろうか,と思っていたものですが,実は弁護士の生活とはそのような毎日なのです。



私達は「事実」というと,客観的に存在して誰の目からも明らかなように感じるものですが,弁護士が司法権で扱う事実とはその全てが過去に起きたものであり,さらには「○月○日○時に何が起きたのか」ということを法廷で証拠により証明することは,実は非常に難しいことなのです。



「その時何があったのか」という謎を,現在に残された証拠という痕跡から誰の目からも明らかなように証明する,というプロセスはまさに雲をつかむようなものであります。それはまさに,困難なトリックがちりばめられた推理小説を読み解くようなものなのかもしれません。



でもだからこそ証明のプロセスはとても面白く,さらには「分かった!」と真実に気づき,法廷での証明に成功したときの喜びはとても大きいものなのです。






さて,上でご紹介した作品『葬儀を終えて』において,エントウイッスル氏と共に,事件の謎に迫るのが,アガサ・クリスティー作品ではおなじみのエルキュール・ポアロであります。



2人がそれぞれ真実を探求する姿を拝見して,興味深く思ったことがあります。それは,弁護士であり遺言執行者であるエントウイッスル氏は,殺人事件の謎に迫りつつも,やはりあくまでも遺言執行者としての「亡くなられた当主が遺言に込めた最後の意思」を実現しよう,とするのに対して,ポアロはむしろ,殺人という残忍な行為に探偵として迫りつつも,その行為の背後に秘められたその行為に至る動機を探求しようとしているのではないか,と感じたことでした。



同じ真実を求める2人ではありますが,その姿勢の違い,事実へのアプローチの違いは,事件に当てられる光の違いとなって現れます。異なる光が事件に当てられていくのです。



コントララストをなす光の投影が真実を浮かび上がらせていくプロセスは芸術的でもあり,裁判における証拠調べを思い出させる興味深いものでした。



さらに申すと,この作品『葬儀を終えて』にはもう1つの光が,事件に当てられているように感じました。それは作者であるアガサ・クリスティー自身による光です。



実はこの作品のポイントの1つに,相続財産の絵があります。相続財産の1つに古く安価な絵があるのですが,その誰もほしがらないような絵の下に,フェルメールの絵が隠されていたのです。



莫大な遺産を巡って争う相続人の姿。でも,本当に大切なものは表面からは見えないのではないですか,残された人が大切にしなければならないことは目には見えないものではないのですか,それに気づくことが,亡くなった方のこの世に残された最後の願いをかなえることにつながるのではないですか,とアガサ・クリスティーさんは言われているような気がしました。



古ぼけた絵の下からフェルメールの絵が登場するシーンがとても印象的なこの作品『葬儀を終えて』。ご関心をお持ちの方は,ぜひ手に取られて,エントウイッスル氏とポアロとは異なる光を事件に当てながら,謎解きを楽しんでいただきたいと思います。