僅か30数点の作品しか現在残されていないにもかかわらず,世界中で愛されている画家,フェルメール。昨年,代表作である「ガラスの耳飾りの少女」が日本でも見ることが展覧会で見ることができましたね。展覧会には多くの方が足を運んだようです。



フェルメールの生まれ故郷はオランダのデルフトです。私もオランダのハーグにありますマウリッツ・ハイス美術館で,「ガラスの耳飾りの少女」など,彼の代表作を直接拝見する機会がありました。名画の前で足を止めて見入ってしまった時のことは,今でも鮮明に覚えています。



そんなフェルメールの代表作の1つが「デルフトの眺望」です。この作品も,マウリッツ・ハイス美術館で見ることができます。




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このフェルメールの作品「デルフトの眺望」は,フェルメールの生まれ故郷であるデルフトの風景を描いたものなのですが,よく見てみますと,手前に描かれている人の大きさと比較すると,絵の奥に描かれている建物が,実物よりも大きく描かれていることが分かります。実際にこの絵が描かれた場所の写真は次のとおりなのです。



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フェルメールは,おそらく様々な意図の下に,建物の大きさについて「デフォルメ」を用いたことになります。写実的な作品で知られるフェルメールですが,実はそれぞれの作品に「自らの意図」を込めたデフォルメを施している,と言われています。フェルメールの自伝『フェルメール/デルフトの眺望』(アンソニー・ベイリー著,白水社,2002年)296頁には,以下のような指摘がされているのです。



「フェルメールがわざとひとを勘違いさせようとしたり,自らの意図を隠そうとしたこともあったにちがいない。・・フェルメールは説教がましいと思われないように,細心の注意を払った。フェルメールは登場人物の唇からことばを奪い,身振りを停止させて,すべてを曖昧なままに残したようにわたしには思える。句読点の代わりに疑問符を用いたのである。フェルメールの『意思表示』には躊躇と懐疑がつきまとう。」






考えてみますと,フェルメールが作品に「意思表示」を込めたことは,法の解釈とよく似た行為のように思えます。



法そのものが紙に書かれた活字であり,その活字にどのような意味を与えるかは,解釈を行う者の自由です。でも,私達が行う「法の解釈」には,必ず「意図」があります。それは解釈者の「意思表示」なのです。



でも,その意味では千差万別の存在である法の解釈であっても,その中には,多くの人々に受け入れられて支持される解釈が存在するのです。「正解がない世界」において,人の心をとらえる解釈が存在するのです。



画家の方が絵を描くプロセスも同じですね。絵そのものは,白いキャンパスに絵の具を用いて描かれるものです。そしてどのような絵を描くべきかについて,この世に正解は存在しません。



それでも,フェルメールのような存在は,世界中の多くの人が,その絵の前で思わず足を止めてしまう絵を描くことができるわけです。「正解がない世界」において,人の心をとらえる絵が存在するのです。



上で申しましたように,フェルメールの絵には,さまざまなデフォルメが用いられています。そこにはフェルメールの「意思表示」が込められているのです。



それもやはり,法の解釈には,「活字としては○○と読むべきところであるが,社会の正義・公平を実現するためには,●●という意味をその活字に込めるべきだ」という,解釈者の「意思表示」が込められているのと同じだと思います。






フェルメールと法の解釈と申しますと,もう1つ,私には忘れられないエピソードがあります。それは,私が上で申したオランダのマウリッツ・ハイス美術館に参った時のことでした。



「真珠の耳飾りの少女」や「デルフトの眺望」などのフェルメールの作品を拝見した後で,美術館で販売されている展示作品の解説書を購入しました。



すると,そこには「真珠の耳飾りの少女」についての解説が掲載されていました。



実はフェルメールは,その晩年には生活が苦しく,亡くなった後彼の財産は債権者による競売にかけられたのです。



もちろん既に画家としての名声を得ていたフェルメールですから,その残されていた作品は競売によって売却されていったのですが,その競売によっても買い手がつかず,売れ残った作品がいくつかあったそうなのです。



そして当時の競売の記録によりますと,その売れ残った作品の中に,「ターバンを巻いた少女の作品」があった,と記載されていたそうなのです。



そう,フェルメールをお好きな方ならもうお分かりかと思います。フェルメールの作品で「ターバンを巻いた少女の作品」と言えば,「真珠の耳飾りの少女」しかありませんね。美術館で購入した解説書にも,「おそらく売れ残っていた絵の1つが,『真珠の耳飾りの少女』だったのだろう」との指摘がされていました。







今は世界中から多くの方が,オランダにこの絵を見るために足を運ぶ名画「真珠の耳飾りの少女」ですが,フェルメールが亡くなった17世紀では,買い手がつかない絵だった可能性が高いのです。



白いキャンパスに描かれた絵。決して正解のない絵という芸術作品に対する評価も,時代によって変化します。それは,法の解釈という正解のない世界で活字に与えられる意味と同じなのです。



私は,法律家としての才能は,芸術家の才能に似ているのではないか,とよく思います。フェルメールの作品群は,そのことを改めて教えてくれているような気がするのです。




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