アメリカの代表的な画家,アンドリュー・ワイエスさん(1917年―2009年)は,ペンシルベニア州のチャッズフォードに生まれました。
ワイエスさんは,幼い時から病弱で,学校に通うことができませんでした。家庭教師から読み書きを学んだのです。
そしてワイエスさんは,画家であった父親から絵を学びます。生活の全てを絵に没頭したワイエスさんは,絵を描き続け,12歳でイラストの注文を受けるに至るのです。
ワイエスさんは,その人生で,自宅のある生地チャッズフォードと,別荘のあるメーン州クッシングの2つの場所以外にはほとんど行きませんでした。ワイエスさんの作品は,この2つの場所の風景と,そこで生きる人々を描いたものなのです。
ワイエスさんは生涯においてさまざまな絵を描いたのですが,1986年,ある方をモデルにした絵の存在が明らかになり,美術界を驚かせたのです。
そのモデルとは,ワイエスさんの隣接農家で暮らしていた,ドイツ女性ヘルガ・テストーフさんという方です。ワイエスさんはなんと,15年間の間,このヘルガさんの絵を描き続けていたのです。その作品なんと246点。
ヘルガを描いた最初の作品です。ヘルガは当時38歳でした。
そして最後に描かれたヘルガの絵です。15年後のヘルガです。
ワイエスさんは,後にお話する別な女性も長年描き続けるなど,1人のモデルを描き続けた画家として知られています。
そこには,人間が年齢を重ねるに伴う変化,喜びと悲しみの経験を積み重ねた年輪そのものが,ワイエスさんを引きつける何かがあったことを,示しているように思います。
そんなワイエスさんの代表作とされているのが,「クリスティーナの世界」シリーズです。これも,長い間かけて,1人の女性を描き続けた作品群です。
「クリスティーナの世界」に登場するクリスティーナは,ワイエスさんの別荘の近くに住んでいたオルソン家の女性です。女性はポリオのため足が不自由だったのです。
自分自身が生来病弱で,学校にも通わずに,とても孤独に育ったワイエスさんでしたが,ポリオで足が不自由であるにもかかわらず,何もかもを自分自身でこなし,たくましく生活しているクリスティーナの生命力に感激し,その出会いの時から,死に至るまで,約30年物間,クリスティーナを描き続けたのです。
ワイエスさんは生前,「樹齢が500年近くにもなるこの大木の堂々たる風格を描きたい」という言葉を残されています。
500年の年輪を重ねた大木の絵。それは懸命に生きながら年輪を重ねる私達の人生をも象徴するものです。
人はより美しいもの,より芸術的なものを,その人生において追い続ける存在です。でも,本当に美しいもの,本当に人の心を打つ芸術的なものは,喜びと悲しみに照らされた,私達の人生の積み重ねそのものの中にこそ存在している。
ワイエスさんは,その残された多くの作品を通して,私達にそんなメッセージを送っているように思えるのです。