フェイスブックは,多くの方が利用されていると思います。世界中の人々をネット上でつなぐ,SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)の代表的な存在ですね。日本でも,2010年に制作されたフェイスブックを創設したマーク・ザッカーバーグらを描いたアメリカ映画が公開された後で,利用者が急激に増えたと聞いています。



フェイスブックは友達リクエストを行い,それが認められた方だけがその人のページで書き込まれた内容を見ることができます。いわば許可を得た人たちだけによるプライベート空間が,ネット上に作り出されていることになります。



その限られた人だけが見ることができるXさんのフェイスブックのページ上で,Yさんの名誉を毀損する書き込みが行われ,友だちリクエストの承認を得ているZさんがその内容をYさんに伝え,YさんがXさんを「名誉毀損だ」として訴えた場合,Xさんは責任を負うのか,という問題があります。



通常は名誉毀損ですと,社会に伝播する態様で表現が行われた場合,表現を行った者は責任を負うのですが,それが元々限られた者のみが見ることができるフェイスブックページで,その限られた者のみが見ることができることを前提として行われた場合にも,名誉毀損の責任を負うのか,という問題です。



この問題につき,昨年フィリピンでとても興味深い判決が出た,という報道を目にしましたので,ご紹介します(2011年6月29日付ヤフーニュース掲載の記事より)。



「ヤフー!ニュース



フィリピンで初めて”フェイスブック名誉毀損”について試みられた訴訟事件が失敗に終わった。



地方裁判所は,フィリピンで初めてとなる”フェイスブック名誉毀損”事件につき,インターネット上における名誉毀損に関する”管轄権の制約”に言及して,原告の請求を棄却した。



著名な形成外科医であるビッキ・ベロ医師のベロ・メディカル・グループ会社(BMGI)と弁護士であるアージー・グエバラとの間におけるこの事件における請求は,グエバラが発表した声明によると,”裁判管轄の誤り”を理由として棄却されたのである。



フォーラム・ショッピング(管轄漁り)か法の逃げ道か



BMGIはグエバラを被告として,リザル州で訴訟を提起した。提起したのは,ベロがマカティに居住し,グエバラはパシグに居住しているにもかかわらず,リザル州においてであった。


それは,管轄に関する経済面での利益を得ようと試みたものである。



この事件は裁判所から認められない結果となったが,グエバラの立場は,アンチポロ地裁のマリー・ジョゼフィン・ラザロ裁判官が訴訟において行った判断が,審理で重要な争点として提起した諸問題を無視して行われたことをとても悲しむものであった。



”グエバラは論じた。ほかの人達との間でのインターネット上の名誉毀損は,法律に規定がなく,新しい立法が必要な問題である。”。その声明ではさらに加えて,司法省(DOJ)はすでにフィリピンでは刑事罰を課すような法もないことを表明していることを指摘している。



”インターネット上の名誉毀損”についての法律上の先例



2009年にマレーシアのユーチェンゴ・ファミリー保険会社がペアレンツ・エナブリングペアレンツ・コオリティオン対してウエブサイト上の名誉毀損的な声明について提訴した事件における判定を契機として,DOJは刑法典の改正を行い,そのような名誉毀損が成立する行為を明確にしていると表明した。



”この観点からすると,改正後の刑法典においては,フェイスブックのような存在については”インターネット上の名誉毀損”となる場合は存在していない,といわざるをえない。”とその判定は述べている。



さらに判定は,”名誉毀損は,文章,絵画,石版,彫刻,ラジオ,劇場における展示,映画の上映,さらにはそれらに類似したものによってのみ生じうる。”としている。



ゲバラの弁護士であるルーク,エスピルトゥとレスティ・メンドーザは,訴えを退けた裁判所の判断を歓迎し,これは2千万人近くのフィリピン人が利用しているフェイスブックにおいて,表現の自由が保障され,この世で最も自由なフォーラムとなるための第一歩であるとコメントした。



弁護士エスピルトゥはさらに,フェイスブック上の言論に対して提起される訴訟が,自らのプライベートな考えをフェイスブックで表現することを圧迫することについて言及した。



”フェイスブックはnetizen達(注:コンピューターネットワークを使いこなし,電子空間の中で活動する人々,ネットワーク上の市民の意味)のプライベート空間である。それは人にとって家のようなものだ。世界中におけるすべてのフェイスブックユーザーのプライバシーの権利が実現されるために,国家は干渉を行ってはならないのである。”と弁護士エスピルトゥは主張した。



グエバレラはさらに,彼が次のステップとして,医療過誤訴訟や悪意の訴追に対する訴訟を検討していると言った。  



ペロとグエバレラの乱闘の背景



ペロとグエバレラは,2009年にグエバレラが彼のフェイスブックウォールに,ベロについて悪意の表記を掲載したことからその紛争が始まった。



グエバラのその表記は,もともとは彼の依頼者であるジョセフィン・ノリシオから寄せられたもので,ジョセフィンは,ベロの指示による形成手術の後,危うく死にそうにな

ったと主張していた。



その最新の内容のものが,グエバレラのフェイスブックページに友達登録しているBMGIの総支配人のアグネス・バルステロスが読み,その内容を彼女の上司に伝え

たのであった。



そしてBMGIはグアベレラを訴えることにしたのである。



GMAニュース・オンラインはベロに接触を試みたものの,未だコメントを得るにいたっていない。」






憲法には「パブリック・フォーラム」という概念があります。日本でも最高裁判事を務められていた伊藤正巳判事が,担当された最高裁判決の補足意見で述べられたことで注目されました。元々は英米法にその起源を持つ法概念です。



日本の最高裁で問題とされた事件では,私鉄の構内で政治的表現を行った者について刑罰を課すことは,表現の自由を保障した憲法21条に違反しないか,という点が争点となりました。



伊藤正巳判事の補足意見をご紹介します(最高裁昭和59年12月18日判決における伊藤裁判官補足意見)。



「私鉄の『駅前広場』も,その具体的状況によってはパブリック・フォーラムたる性質を強く持つことがあり得,その場合,そこでのビラ配布を鉄道営業法35条違反として処罰することは憲法に違反する疑いが強い。」



この伊藤正巳判事の補足意見では,表現の自由の対して規制を行う場合は,社会における表現の自由の重要性を最大限考慮に入れなければならず,その「場」の社会的役割をも考慮に入れる必要があることが述べられています。



そして考えてみますと,インターネットという「場」も,実は社会におけるパブリック・フォーラムたる性質を有している存在だと思うのです。



そしてそのインターネット上に作り出されたプライベート空間であるフェイスブックページにおいては,表現の自由の保障の外に,プライバシーの保障の要請も加わるわけですね。



上掲のフィリピンで初めて出されたフェイスブックと名誉毀損の判決では,それらの性質を重視して,表現者の責任を認めなかった,ということになるのでしょう。



そして,フェイスブックが世界中の方々をつなぐ存在である以上,その責任のついての法的判断は,個々の国の裁判所が行うとはいえ,世界的に同じ判断が行われることが望ましいと言えると思います(法解釈における世界的ハーモナイゼーション)。



フィリピンでの判決は,いわばインターネットとフェイスブックの現在の役割だけでなく将来の役割をも予言するような内容だと思います。日本の裁判所で同じ事件が扱われた場合,どのような判断が下るのか,とても興味深いですね。