東日本大震災により被害を受けられた皆様に,心からお見舞いを申し上げます。





今回は,少し専門的なお話をさせていただきます。



民事訴訟で裁判の対象となっているものは何か,という問題があります。訴訟の対象物の問題,という意味で,「訴訟物論争」といいます。



この論争には,二つの代表的な立場があります。例えばAさんがBさんに対して,①貸したお金を返せ,という貸金返還請求権と,②交通事故に遭った際の損害賠償請求権とを有しているとします。



まず①と②は別の訴訟物である,という立場があります(「旧訴訟物理論」といいます。この立場ですと,①②両方の請求を行うためには,原則2回訴訟を行う,というイメージになります。)。この立場の代表的な方が兼子一教授(1906年―1973年)という,日本の民事訴訟法学の基礎を築かれた方です。昨年の12月25日付記事「ケーキの分け方」でもご紹介しました,民事訴訟の目的は紛争の解決にある,という立場で有名な方です。



もう一つの立場は,①と②を合わせた「相手方から給付を求めうる地位」こそが訴訟物である,という立場です(「新訴訟物理論」といいます。この立場では,①②両方の請求をするのに,1回の裁判ですみます。その代わり,当事者が裁判で①について熱心に主張をしていただけでも,後で②について再度裁判を行えないことになります。)。この立場の代表的な方が三ヶ月章教授(1921年―2010年)です。三ヶ月先生は,1993年に細川内閣で法務大臣をされ,また1998年から施行されている現在の新しい民事訴訟法の制定過程において中心的な役割を果たされた方です。昨年の10月に亡くなられました。



この論争は,学会において圧倒的な通説であった兼子先生の立場に,若かりし頃の三ヶ月先生が果敢に挑戦を挑んだものです。兼子先生と三ヶ月先生は,多くの問題点において論争を重ねられ,日本の民事訴訟法学の歴史を作られてきた方々なのです。







その三ヶ月先生が昨年10月に亡くなられたことを受け,法律の専門誌である『ジュリスト』1425号(2011年7月1日号)(有斐閣)では,「三ヶ月章先生の人と業績」という追悼特集が組まれました。



そこに寄せられた論考に,三ヶ月先生のお弟子さんの新堂幸司先生が,とても興味深いエピソードを紹介されています(新堂幸司「三ヶ月先生に初めてお会いした頃」『ジュリスト』1425号79頁)。



三ヶ月先生が新訴訟物理論を学会で発表したのは,1957年10月18日に大阪市立大学で行われた私法学会(第20回大会)での「請求権の競合」においてでした。



そのシンポジュウムの記録には,最後に兼子先生が,「一言だけ言わして下さい」と発言された,とされているそうです。しかし,座長が,時間がないということで,兼子先生の発言を許さず,討論を打ち切ってしまったそうです。



新堂先生は論考で,「ああ,ここで,兼子先生は,いったい何を発言されようとされたのでしょうか。いまは知るよしもありません。しかし,私としては,・・是非伺いたかったところでした。また,学会としても,大変惜しまれるところです。・・学会としても,兼子先生の反論を是非お聞きしおくべきところだったのです。」と,大変残念に思われていることを書かれています。










三ヶ月先生は著作『法学入門』(弘文堂,1982年)において,次のような記載を残されています(同書14頁)。



「法律を学ぶために欠くことのできない一つの主体的な条件として,喜怒哀楽に織りなされるこの人間の社会や,そこで精一杯生きている人間というものに対して,大らかな人間愛に裏付けられた興味と知的好奇心をもっている,ということをあげることができよう。」



三ヶ月先生の社会への思いと情熱を,先生が亡くなられた後も受け継いでいきたいですね。