以前の記事にも書きましたが,少年(未成年)の事件については,まず検察庁から家庭裁判所に,事件が送られます。



そして家庭裁判所で,少年の更生のためには,少年として教育を受けるべきであるとの判断がされれば,少年院送致などの処分がなされることになります(少年院は刑務所とは違い教育を受けるための施設である,というのが法律の理念です)。家庭裁判所での審判は原則非公開で,検察官も立ち会わないのが原則です。通常は,裁判官,家庭裁判所の調査官,少年の付添人としての弁護士,少年,少年の監督者が立ち会います。



それに対して,その事件はもはや少年として教育を受けるだけでなく,大人と同じ裁判で刑罰を受けるべきである,と判断された場合には,逆送と申しまして,事件は家庭裁判所から再び検察庁に送られて,検察官が起訴を行うことになります。








少年法は,近年の少年事件に対する厳罰化の声を受け,改正が重ねられたのですが,それでもまだ不十分である,という判決が先日出されたという報道を目にしましたので,引用したいと思います(2011年2月11日付朝日新聞掲載の記事より)。



「少年法改正言及 高1殺害不定期刑



大阪府富田林市で2009年6月,高校1年生の大久保光貴さん(当時15歳)が木製バットなどで殴り殺された事件で,殺人の罪に問われた少年(19歳)の裁判員裁判の判決が,2月10日,大阪地裁堺支部であった。



飯島健太郎裁判長は『事件後に燃やせると考えて木製バットを用意するなど計画的な犯行で,結果も重大だ』などと述べ,求刑通り懲役5年以上10年以下の不定期刑を言い渡した。



飯島裁判長は,死刑判決が言い渡される事件以外では珍しい量刑理由の読み上げから始め,『少年法が狭い範囲の不定期刑しか認めておらず,十分ではない刑を選択せざるを得なかった。判決を機に議論が高まり,適切に改正されることが望まれる』と求めた。



裁判官が判決の中で少年法の厳罰化を求める意見を述べるのは極めて異例。



判決は争点だった少年の責任能力について,被害者を呼び出す際に口止めをするなど合理的に行動しており,責任能力はあったと判断した。」









裁判所が指摘した「少年法が狭い範囲の不定期刑しか認めていない」という点は,次のようなことを指していると思われます。



少年法


51条1項

「罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては,死刑をもって処断すべきときは,無期刑を科する。」


2項

「罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては,無期刑をもって処断すべきときであっても,有期の懲役又は禁錮を科することができる。この場合において,その刑は,10年以上15年以下において言い渡す。」


52条1項

「少年に対して長期3年以上の有期の懲役又は禁錮をもって処断すべきときは,その刑の範囲内において,長期と短期を定めてこれを言い渡す。但し,短期が5年を越える刑をもって処断すべきときは,短期を5年に短縮する。」


2項

「前項の規定によって言い渡すべき刑については,短期は5年,長期は10年を越えることはできない。」


3項

「刑の執行猶予の言渡をする場合には,前2項の規定は,これを適用しない。」




少年法は,逆送されて起訴された少年の刑について,この51条と52条とで科すべき刑を規定しています。



そして,その少年を死刑や無期懲役刑ではなく,有期の懲役刑に科すべきと考えた場合には,少年法52条1項,2項の刑期の範囲内で不定期刑を言い渡すほかない,と解釈するのが判例の立場です(大阪高裁平成17年9月7日判決)。つまり,少年に対して,10年よりも長期の有期懲役刑を科すことはできず,5年以上10年以下の懲役刑が,有期懲役刑では最長の刑となるのです。



先に引用しました裁判で,「少年法が狭い範囲の不定期刑しか認めていない」としたのは,このことを指しているものと思われます。








確かに,少年事件の厳罰化の声が高まっていることを考慮しますと,5年以上10年以下の懲役刑というのは,短いと感じられるかもしれません。



ただ,そのような5年以上10年以下,という受ける刑の年数が定まっていないものを不定期刑と言うのですが,成人の場合とは異なり,少年には不定期刑が懲役刑として科すべきであると少年法が考えた趣旨は,「少年は,まさに子供であり,未熟な存在である。そして子供であるが故に,変化するものである。」という理念にあると言えます。



少年の時に犯した事件に対し,当然のように成人と同じ長期の懲役刑に服させることが,日々変化する少年に対する刑として適切なのか,という問題があると,少年法は考えたのだと思います。



また,付け加えますと,弁護士として少年事件に関わりますと必ず感じることに,事件を起こす少年の家庭が崩壊している,ということがあります。



少年事件は,共犯事件,つまり複数の少年によって行われることが非常に多いのです。そしてそれは,家庭が崩壊し,行き場を失った少年達がグループを作り,集団で犯罪を犯す姿でもあります。



仮に少年事件に家庭の崩壊が影響しているとするならば,長期間罰として懲役刑を科すことの他に,少年の更生を促す方法があるのではないか,という思いにもつながります。いつか社会に復帰する少年に,社会として何ができるのか,という視点が大切なのだと思います。








以前私が書きましてこのブログの記事「裁判員裁判・少年事件死刑判決について」に対し,読者の法学部生の方から,「少年法51条は,犯行時18歳に満たなかった少年に対して死刑を科すのが相当と考えられる場合でも,死刑を科すことはできず,無期刑にしなければならない,としている。でも科すべき刑の重さの相当性は,18歳未満の少年であっても個々の少年ごとに異なるのではないか。」とのご意見をいただきました。



それに対して私は,大要,以下のようなお返事をしました。



「一人一人の人間が異なる以上,量刑も当然,一人一人個別に決めるべきで,法律や条約などで,一律に18歳未満は死刑にできない,とすることは,問題があるようにも思えます。


ただ,国家権限が立法,行政,司法と三権に分けられているのは,この世に完全な人間はいない,ということを前提としたものです。



一人の人が決めた方が速いのに,あえて3つの権限の決定権限を作り,ゆっくりとしか国家,社会は進まないようにした,それは完全な人間はおらず,一人に決めさせることによる弊害を防止したもの,言ってもいいかもしれません。


その趣旨は司法権の作用そのものにも言えます。司法権の担い手も不完全な人間です。当然に判断に過誤が生じる可能性があります。


法律の規定により,その過誤を予防する方法もあります。たとえば三審制や再審制度などはその1つです。


とすると,少年事件では,成人の被告人と異なり,日々変化,成長する少年の刑を決める必要があります。どんなに司法権の担い手が少年犯罪について研究を行った者でも,わずかの裁判の審理期間の間に,少年の将来の成長を完全に予言することなど,不可能と言ってもいいでしょう。


つまり,少年法が犯行時18歳未満の少年には死刑を科してはならないとしている趣旨は,量刑は当然一人一人個別に考えなければならないのですが,ただでさえ変化する可能性の高い少年の中でも,18歳未満の少年については,少年の変化・更生の可能性を完全に把握することができず,不完全な人間である司法権の担い手が,誤った判断を行い,更生可能性のある少年を死刑としてしまうといけない,その可能性を完全になくするために,一律にそのような規制をしているのではないでしょうか。」







法律は,多くの方々が暮らすこの社会の要請を,調和する存在です。社会における複数の要請の調和点が法律である,と言ってもいいかもしれません。



そして,その調和点が社会の変化で,その要請とは異なってきた場合に,法の文言の解釈が行われたり,法改正がされるのだと思うのです。



その意味で,少年事件に対して厳罰化を求める声が高まっていることは,社会の要請ですので,法の運用においても当然考慮する必要があります。



ただ,その一方で,成人の場合とは異なる少年法という法が設けられていること,その少年法が,「少年は未熟であり,変化する存在である」という理念を基盤として制定されていること,さらには,少年に対する刑を決める司法権を担う人といえども,完全な人間ではない,ということは,この問題を考えるにおいて,忘れてはならないように思うのです。