ビートルズには「オブラディ・オブラダ」という曲があります。明るいレゲエ風の曲で,日本でも大変人気のある曲です。日本では音楽の教科書にも載せられていますね。


実は,この曲は,タイトル「オブラディ・オブラダ」について,とても興味深いエピソードがあるのです。


そもそも「オブラディ・オブラダ」とは,どこの国の言葉で,どのような意味なのだろう,と思いませんか。


実はこの「オブラディ・オブラダ」は,曲のセッションに,ナイジェリア人でコンガという楽器を演奏していたジミー・スコットという方が参加されていたそうです。そのジミー・スコットがよく口にしていたフレーズが「オブラディ・オブラダ」だったそうです。


ジミー・スコットはそのフレーズを口にし,さらには「オブラディ・オブラダ」とはナイジェリアのヨルバ族の言葉で,「life goes on(人生は続く)」という意味だ,とビートルズのメンバーに話していたそうなのです。


そこで,ビートルズのポールマッカートニーが,そのジミー・スコットの話をヒントにして,曲のタイトルを「オブラディ・オブラダ」に,さらには歌詞で「life goes on(人生は続く)」というフレーズを書いた,とされています。


ところが,実はナイジェリアのヨルバ族の言葉に「オブラディ・オブラダ」という言葉はないそうでして,「オブラディ・オブラダ」はジミー・スコットが作り出した言葉だった可能性が高いのです。


その結果,ジミー・スコットは「オブラディ・オブラダ」が世界中でヒットした後,曲を作ったポールマッカートニーに「自分の言葉をタイトルとして,さらには歌詞のフレーズとして使ったのだから,売り上げの分け前をよこせ」と要求しました。その要求をポールマッカートニーは拒否しました。


その後,ジミー・スコットはある出来事で逮捕され,その際にポールマッカートニーが弁護士費用などを負担するのと引き換えに,ジミー・スコットが「オブラディ・オブラダ」についての要求をもう行わない,との合意がされた,と言われています。







さて,結果的にジミー・スコットが主張していた「オブラディ・オブラダ」についての請求は認められなかったようですが,では彼は本当に何の権利も有していなかったのでしょうか。


この問題は,著作権法上の問題として申しますと,①曲のタイトルに著作権が成立するのか,②歌詞の中における「オブラディ・オブラダ」や「life goes on(人生は続く)」というフレーズそのものに著作権が認められるか,③さらに①②が否定された場合,ポールマッカートニーとジミー・スコットの共同著作物といえないか,などなど,色々な問題がありそうです。


でも大切なことは,著作権を認めるかどうか,著作者を誰にするか,という問題は,①著作権者と認められることで,その権利保護が図られ,その結果社会の創作へのインセンティブが図られる,という側面と,②著作権,著作者として認められれば,権利関係が複雑になり,社会がその作品を有効に使用することが困難になる可能性が生じるという側面の両方の影響を考慮した上でなされるものです。


私達が認識しなければならないことは,著作権法という法律に,その「正解」が書かれているわけではない,ということです。著作権法は,紙の上に活字として書かれた存在にすぎず,そこには抽象的な規定が定められているだけです。


私達は,社会で発生した事件につき,例えばこの「オブラディ・オブラダ」の件についても,さまざまな社会的な影響を考慮した上で,「著作権」という権利を誰に認めることが,社会にとって最も幸せな姿なのか,社会はどうあるべきなのか,ということを念頭に置き,活字である法律に意味を与え,発生した問題を解決する必要があると思うのです。






「オブラディ・オブラダ」は,今後も世界中で愛されることでしょう。生まれた曲は,それを生み出した著作者から離れた客観的な存在として,社会に受け継がれていきます。


「誰が著作者なのか」そして「誰に著作権を与えるべきか」という私達の判断,解決方法も,現在の社会だけでなく,未来の社会にも受け容れられ,そして受け継がれていくようなものが望ましいのでしょう。そしてそれは,著作権の問題だけでなく,この社会で発生したすべての問題について,言えることだと思うのです。私達は,社会問題の解決について,予言者としての才能も必要なのですね。


歌は歌い継がれます。社会は変化し,私達の人生も続くのです(life goes on)。