私がとても好きな本に,



福井健策弁護士の『著作権とは何か―文化と創造のゆくえ』(集英社新書,2005年)



があります。



この本は,著作権の面白さを教えて下さるとともに,著作権という法分野を通じて,社会はどうあるべきか,私たちは,法律をどう動かしていくべきか,というとても大切なことを教えてくれています。



これから著作権を学ばれる方の最適な入門書となるとともに,これから法律学そのものを学ばれる方が読まれても,多くのことを学ぶことができる本だと思いますので,ぜひお読みいただければ,と思います。


その本の中に,シェイクスピアと著作権の話が出てきます。



福井弁護士は,その本や,朝日新聞でも論考を発表され(2005年9月16日付朝日新聞),世界中で著作権の保護期間を長くする傾向があり,日本でもその検討がされている,でもそれが本当に私たちの文化を豊かにするのか,と問題提起されます。



福井弁護士はシェイクスピアを例として取り上げ,その多くの創作活動は,実は当時存在していた既存の作品を創作の源泉としていること,それがあのような多様な作品を生み出した理由であることを指摘されます。



例えば悲劇の最高傑作といわれる「リア王」には,ほとんど同時代に「レア王とその三人娘,ゴネリル,レーガン,コーデラの実録年代記」という「種本」が存在していたのであって,仮にシェイクスピアの時代に著作権が死後70年間守られていたら,彼の傑作の大半は存在しなかったとさえいわれる,とされるのです。



そして福井弁護士は,クリエイターの創作活動にとっては,さまざまな既存の言葉・メロディ・イメージなどを自作の中に取り込んだり,古典的作品を下敷きにした作品を作ることが,新しい作品を生むのであるから,私たちが目指すべきなのは,クリエイターの正当な権利が尊重され,かつ人々の作品へのアクセスとのバランスが図られて,豊かで多様な文化が息づく国である,それこそが世界最先端の著作権立国であって,日本における著作権法改正の議論を通じて,世界に向けて「日本モデル」を示すべきである,とされるのです。



福井弁護士の指摘は,とても示唆深いものだと思います。「権利」というと,私達は強く主張するもの,それを保護することが社会を幸せな姿にするもの,というイメージを持っています。



それに対し,シェイクスピアの時代の著作権の保護の程度が弱かったから,シェイクスピアはさまざまな分野について,名作を作り上げることができたという歴史は,私たちに,権利保護イコール豊かな社会,という発想そのものを転換させる必要があることを教えてくれています。



法,そして権利というものに対して,私達はどう接していけばいいのか,そのことが社会をどう変えるのか,それはとても難しいものなのだ,という大切なメッセージを,福井弁護士とシェイクスピアは,教えてくれているように思うのです。


さて,実はシェイクスピアについては,「シェイクスピアという人はいなかったのだ」という議論があることをご存じでしょうか。たった1人の人が,あのような多様な分野について,あれほどの名作群を作れるはずがない,実はシェイクスピアは,1人の人ではなく,数名の専門家が集まった集団だったのではないか,という指摘です。

そして,その主張を裏付ける話があります。イギリスには「シェイクスピア生誕の村」があるのですが,その村に残された出生記録には「シェイクスピア」ではなく「シャクスピア」という名前の人が生まれた,としか書かれていないのです。つまり,あの時代,イギリスにシェイクスピアという名前の人が生まれたという記録は,実は残されていないのです。


さらに,シェイクスピアの自筆原稿は1つも発見されていないのです。それは,文学史上最大の謎と呼ばれています。



日本にも,「聖徳太子はいなかったのではないか」という主張をされている方がいらっしゃいます。その方も,あれほどの改革は1人の人ができるものではない,聖徳太子という名前の専門家集団がいたのではないか,と主張されるのです。

そういえば,聖徳太子は一度に10人の話を聞き分けることができた,と言われていますね。その伝説も,聖徳太子は実は10人の専門家集団だったことを意味する話である,と考えれば,つじつまがあってくるのではないでしょうか。


シェイクスピアも聖徳太子も,「実は存在しなかったのではないか」という主張がされるくらい,とても才能のあふれた方だったのでしょう。でもそのシェイクスピアについて,その才能が開花した理由の1つに,当時では著作権が強く保護されていなかった,という側面があったことは,現代社会で法の担い手である私達に,法の動かし方,社会の動かし方につき,色々なことを教えてくれているように思うのです。