刑法,刑事訴訟法の大家,平野龍一先生には,代表的な著書である法律学全集『刑事訴訟法』について,ある逸話がある,と聞いたことがあります。



日本の刑事訴訟法は,第二次大戦後に,大きな法改正が行われました。



明治時代に制定された旧刑事訴訟法は,ドイツ法の影響下で制定されたもので,被告人を審理の対象として考える,いわゆる職権主義的な刑事訴訟法でした。



それに対して戦後新しく制定された新刑事訴訟法(現行の刑事訴訟法)は,アメリカ法の影響下で制定され,被告人を検察官と対等な当事者として捉える当事者主義的な刑事訴訟法なのです。



ところが,そのような法改正が行われたものの,戦後しばらくは,まだまだドイツ法的な旧刑事訴訟法時代の解釈論が,日本の刑事訴訟の世界では中心でした。



そのような当時の刑事訴訟の時代に,平野龍一先生は,アメリカのミシガン大学に留学され,当事者主義的な刑事訴訟について学ばれて帰国され,日本の刑事訴訟の世界に強い影響を与えました。その影響は,代表作法律学全集『刑事訴訟法』の発表によってもたらされたのです。発行は1958年でした。



平野龍一先生の立場は,実務・学会を席巻しました。実務家や司法試験受験生の方々も,皆平野龍一先生の法律学全集『刑事訴訟法』を通して,新しく制定された刑事訴訟法のあるべき運用,動かし方を学んだのです。



そのように,実務の世界に大変強い影響を与えた法律学全集『刑事訴訟法』ですが,実は平野龍一先生は,その発表から10年経っても,20年経っても,一向に新しい判例などを加筆した改訂版を出そうとはしなかったのです。



そのような強い影響力を持った本でも,さすがに発行から20年以上経過した1980年代になると,古い判例しか掲載されておらず,実務家や司法試験受験生の方々から,改訂版を求める声が強くなってきました。



その頃になると,司法試験受験生の間では「刑事訴訟法には,司法試験で利用できるような教科書がない」という声まであがるようになりました。



そのような状況を耳にした平野龍一先生のお弟子さんが,おそらくたまりかねて,平野龍一先生に対し,「先生はどうして法律学全集『刑事訴訟法』の改訂版を出さないのですか。皆さん心待ちにしています。」と聞きました。



それに対して平野龍一先生は,その方に対し,「あの法律学全集『刑事訴訟法』を改訂するのは私がすることではない。私の後に続く,皆さんがすることだ。」と言われたそうです。



この逸話は,法律学,そして司法というものを,とてもよく現していると思います。法律学には正解はありません。私たちは,紙の上に活字として書かれた法律に,様々な立場から影響を与え,動かしていきます。



そして,一度この世に現れた法律は,あたかも生物が環境の変化によってその姿を変えるように,社会の変化に合わせて,その動きを変え,最も社会が幸せな姿になる動きをすることになります。



法律が最も社会が幸せな姿となるように動かすためには,法律を動かす立場の人が,社会の変化を敏感に感じ,社会が求めていることを察し,適格に法に影響を与えなければなりません。



その人が,社会の現状を適格に認識し,社会のあるべき姿を情熱的に追い求めることによって,法は最も適切な動きをするのです。そして,その本来は紙の上に書かれた活字にすぎない法律に,影響を与え動かしていくのが,司法権である,ということになります。


平野龍一先生は,ご自身がアメリカで学ばれた当事者主義的な刑事訴訟法の解釈,動かし方を,法律学全集『刑事訴訟法』にまとめ,発表されました。でも平野龍一先生ご自身としては,自分はその本で,新しく制定された刑事訴訟法の理想的な動かし方の幹の部分を提示したのだ,その幹の部分にさらに影響を与え,社会を動かしていくのは,自分ではない,自分の後に続く方のすることである,と思われていたのでしょう。



また,法の支配を実質化するには,その法そのものにより多くの方が影響を与えることが必要です。法に基づく統治でも,たった1人が動かすのなら,それは人の支配と同じです。法に反映される影響の多様性こそが,法の支配を実質化するのです。平野龍一先生は,そのようにも考えられたのかもしれません。



おそらくそのようなお考えの下で,1958年に発表され,平野龍一先生が亡くなった2004年に至るまで,一度も改訂されることがなかったのが,法律学全集『刑事訴訟法』です。特にこれから司法試験を受けられる方は,図書館で本を目にされた際には,ぜひ手に取って読んでいただけたらと思います。